『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記

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さるさる日記
■2002/10/09 (水) 備忘録

電車の中や、遠隔地でポカッと時間が空いたとき、文庫本・新書本はよみやすい。あれ読んでて、んで少し眠くなってウトウトとし、下車するところではしっかり下りる。
うーん、幸せなんだろうなあ、これが。などと思ったり。

※不幸になりたがる人たち−自虐指向と破滅願望 春日竹彦 文春新書
2000.7.20
なんか前に読んだような感じもあるが、そうでもなかった。
そうなんですよね、タナトスというか、共依存というか、そんな心理もあるなあ、と理解しないとならんですよね、自覚もなくはない。−タバコは緩慢な自殺、と。
破壊的カルト問題と付き合って、つくづく思うことでもあります。オウムでは、ストイックな生活自体を喜んだり、独房やコンテナに長く入れられたりした人まで、未だ残っていたりもする。DV事件などでも、感じることあり。

122ぺージ「面倒だから現状のままがいちばん気が楽。不幸なりに、この不幸はもはや馴れ親しんだ不幸であり、未知の状況と新たに向き合うことの精神的負担にくらべたらよほどマシ」と言った発想は、思った以上に世の習いと言えそうなのである。
−−これ、全く同意なんです。カルト問題を考える対策においても。

※精神科にできること 講談社現代新書 野村総一郎 2002.9.20
うん、似たような本は何冊か読んだ記憶があるが、よく整理されていて、かつ読み易い。日本の精神科治療の問題点も知ることができる。そして、精神病ってなに?のいい本かと。かなりいい薬がでてますよね、この10年くらい。

日本では、精神科病院の多くが私立であって他国とあまりに異なる、開放治療といいながら病床数も減らないまま−福祉ケアーでなくて入院形態のまま−というのは、初めて知りました。しかも医師・看護師らの配置が少なくていい、それでも保険点数が低い、などの問題をしっかり指摘しているのは、素敵、と思いました。

福岡弁護士会だったかなあ、精神科からの相談窓口と、体制も作ったと思う。凄いなあ、と。地元の精神病院からの電話さえ(いまは公衆電話がある)いかにいろいろな辛い、嫌な思い出があるとしても、避けている恥ずかしい私。まあ時間もないにしても、少し恥ずかしい。

ああっ。

■2002/10/08 (火) NHKからの手紙

本年8月27日に出した質問書(同日付けの日記に掲載)に対して、手紙が本日到着したので、とりあえず、アップします。
47項目の答え易い質問条項としたのですが、回答になってない手紙でした。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
平成14年10月4日(10月8日着)

滝本太郎 様

NHK
スペシャル番組部長
天城靱彦

前略
NHKスペシャル「奇跡の詩人」に関する8月27日付けの質問書について、会長からの指示により、小職からお答えします。この番組については、会長は放送後にビデオで視聴し、視聴者の方々にはきちんとお答えするようにと私どもに指示し、それに従って私どもはこれまで対応してまいりました。
今回の文書で新たにご質問頂きましたが、NHKの基本的な見解は7月1日付けの書簡で詳しくお答えしたとおりです。また取材先の氏名を明らかにするようにというお求めには、取材源秘匿の原則やプライバシー保護の観点から、お答えすることは出来ませんのでご了承ください。
コミュニケーション障害についての研究はまだまだ途上にあります。会長が記者会見で申し上げた通り、私どもは流奈君の成長を見守ると同時に、障害のある方々に対する誤解や偏見が少しでもなくなることを願って、今後もこの分野での番組作りに取り組んでまいりたいと存じます。
早々

■2002/10/07 (月) 「子どもの知能は限りなく」

グレン・ドーマン著 人間能力開発研究所訳 サイマル出版会 1984年

読みました。人から頂いて。
確か昔、書店で立ち見程度をしたことがある本でした。

子どもは語学の天才、記憶力など小さいうちこそある、学びたがっている、水泳ができるとか、その部分は説得力があるのだが、何故か、突如飛躍していく。
ドーマン法って昔から「信じる」部類だったのかなあ。

7ページ
以下のことは可能なばかりでなく、簡単であり、楽しいことだ。
1−生後12ヶ月の幼児に読むことを教えること
2−生後12ヶ月の幼児に算数を教えること
3−生後12ヶ月の幼児に外国語を理解し、読むことを教えること(2.3カ国語でも教えられる)
4−生後28ヶ月の幼児に文字を書くことを教えること(単語ばかりか、物語や戯曲も書ける)

うーん、その1984年あたりから始まったのかなあ、幼児の早期教育。
親は、次々と親になっていくからまだ試みる方が居るのでしよう。知能神話ですね。

1−まず文字から、というのも障害あるときなど試みることがあり得るが、何も読むことをそう急がずとも、と思うが。
2−算数ね、そう幼児は親より飲み込みが早いかも。お菓子を取り合うまでの成長がない12ヶ月程度では「憶える」だけではないかなあ。
3−まず母国語をしっかり憶えて欲しいが。3カ国語ぐらい行き交っている家庭・環境にいれば話すようになる。意図的にそうする方法もなくはないけど。
思い出すのが、何人かの帰国した友人、子どもら。小さい頃は、外国語を話せ、それで夢まで見ていたのだが、10歳前あたりに帰国してしまうと忘れてしまったり。母国語でろくに話せない難しい言葉、文学、新聞記事は、やはり外国語でもろくに話せず読めないですね。英会話は早い方がいいですが。
4−物語、戯曲ね。人のを読み、社会経験からして理解もないときに、何を書くんでしょう??

−この本に出てる子ども達、今、どうしているん?

そして、247ページ「子どもをテストしないこと」
これからファシリテイテッド・コミュニケーション(FC)についても、「テストしないこと」となる訳か。

論点がずれている。
子どもを勇気づけるためにテスト漬けにさせないというのではなく
FCの論点は、真に子どもの意思を表現しているかどうか、にある。つまり、FCしかもあのドーマン流の文字盤パタパタFCのテストなのだから。

■2002/10/05 (土) ゴータ綱領批判−1

らくさん掲示板
http://bbs8.otd.co.jp/nihilists/bbs_plain
にて、山本さが解説してくれているので、コピペしちゃいます。
ウーン、勉強になるなあ。いろんな方がおられ、敬服します。
私、んな学習せんもんね。

−−−−−−−−−−−−−−−−
ゴータ綱領批判
5992  投稿者: 山本英司 2002/10/05 04:20
詳しくは滝本さんが学習成果を日記で公表されることと思いますが(笑)、ごくかいつまんで解説をば。

『ゴータ綱領批判』というのは正確には「ドイツ労働者党綱領評注」と言って、社会民主労働党(アイゼナッハ派)と全ドイツ労働者協会(ラサール派)の1875年おける合同に際し、合同党の綱領草案に対して、特にラサール派を批判する立場からマルクスが評価を寄せたものです。

ここでは、資本主義社会から共産主義社会への過渡期におけるプロレタリアートの革命的独裁の役割の強調のほか、共産主義社会の2段階区分が初めて打ち出されたことが特に有名です。本文は『共産党宣言』よりも短く文庫本で30頁くらいなものですが、『共産党宣言』のような一般向けの文章と違い、内輪向けの文章なのでちょっと読みにくいと思います。

「共産主義社会の第一段階」、レーニンが名付けたところの社会主義は、
「個々の生産者は、彼が社会にあたえたのと正確に同じだけのものを――控除をしたうえで――返してもらう。」
「生産者の権利は生産者の労働給付に比例する。」

といった原則で動く社会であり、
資本家や地主による搾取が存在しないという点では進歩しているものの、

「ある者は、肉体的または精神的に他の者にまさっているので、同じ時間内により多くの労働を給付し、あるいはより長い時間労働することができる。」
「それは労働者の不平等な個人的天分と、したがってまた不平等な給付能力を、生まれながらの特権として暗黙のうちに承認している。」
「人々はただ労働者としてだけ考察され、彼らのそれ以外の点には目は向けられず、ほかのことはいっさい無視される。」

といった点で欠陥を持つものであると。

■2002/10/05 (土) ゴータ綱領批判−2

「しかし、こうした欠陥は、長い生みの苦しみののち資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会の第一段階では避けられない。権利は、社会の経済構造およびそれによって制約される文化の発展よりも高度であることはけっしてできない。」

その欠陥が取り除かれるのが「共産主義社会のより高度の段階」、
レーニンが名付けたところの共産主義であると。

「共産主義社会のより高度の段階で、すなわち諸個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり、それとともに精神労働と肉体労働との対立がなくなったのち、労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、労働そのものが第一の生命欲求となったのち、諸個人の全面的な発展にともなって、また彼らの生産力も増大し、協同的富のあらゆる泉がいっそう豊かに湧きでるようになったのち――そのときはじめてブルジョア的権利の狭い視界を完全に踏みこえることができ、社会はその旗の上にこう書くことができる――各人はその能力におうじて、各人にはその必要に応じて!」

……最後まで、いったい何人の方が読んで下さいましたでしょうか?
--------------------------

■2002/10/04 (金) 10.12公開講座−「カルト集団における虐待」

下記の通り、お誘いします。どうぞ、お気軽に御出でください。
−−−−−−−−−−−−−−−

JDCC 第3回 公開講座
 
『 カ ル ト 集 団 に お け る 虐 待 』

近年、破壊的カルトの中での虐待が注目を集めています。教祖やメンバーによるリンチ、精神的圧迫、経済的な搾取だけでなく、子どもに対して教育を受ける権利の侵害からムチ打ちまで。オウム事件で知られたように、一般社会に対する犯罪の前にまず集団の内側で事件は起こっていました。
3回目となる今回の公開講座では、破壊的カルト集団における虐待を取り上げ、客観的な分析とカルト体験者・専門家らによるディスカッションを通して、この問題に迫ります。

と き 2002年10月12日(土)13−17時
ところ 上智大学3号館 521大教室
千代田区紀尾井町7−1 JR四ッ谷駅から徒歩3分
正門から入って右側
学生500円(資料代)/一般2000円

● あいさつ  宗 正孝 (カトリックセンター所長、上智大学教授)
● 報 告
高橋紳吾 (精神科医師 東邦大学助教授) 「虐待の精神病理」
紀藤正樹 (弁護士) 「破壊的カルトにおける虐待事例と考え方」
 志村 真 (中部学院大学短期大学部助教授 日本基督教団牧師)
「人権侵害的な宗教思想」
● パネルディスカッション
司会 西田公昭 (社会心理学 静岡県立大学講師)
パネラー ズィビィー・パスカル(マインドコントロール研究所長)
オウム・統一協会・エホバの証人・ライフスペース・ヤマギシ会 の問題から

主 催 日 本 脱 カ ル ト 研 究 会
http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/

■2002/10/03 (木) 秋山ちえこの談話室

TBSラジオ系  午前10時から10分の番組。
明日、10月4日で終わりになるんだということです。
85歳になるとか。うーん、すごい方です。何年やっていたのか。

話し方も、内容もよかった。
たまーに、ズレテイルと思ったが、おおよそは似た感覚でした。というより、自分の思想形成に、それなりに影響を与えた方とも言える。

マスメディア、分けてもラジオは馬鹿にならないですよね、43歳以上、53歳以下程度ですと、深夜放送の影響も、大分、大きいかと。林ヨシオさんだったか、なくなっちゃたのでしたっけ?
いろんな話題が、その世代では、共通にできますね。

明日終了の、この番組、私、かなり聞いたほうです。高校生時代も夏休みとか聞いていた記憶。
その後、今も、自動車で移動すると時は、いつも。

ああ、明日は聞けないなあ、残念だなあ。

■2002/10/02 (水) デカルトに言われずとも、定義って大切。

らくさん掲示板
http://bbs8.otd.co.jp/nihilists/bbs_plain
で、山本さんに、叱られてしまった。

>社会主義は「能力に応じて働き、働きに応じて受け取る」
>共産主義は「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」
>であると。『ゴータ綱領批判』をよく学習するように。いいねっ!
>日本共産党の独習指定文献なのに、ナサケナイ。
http://www.jcp.or.jp/jcp/Dokusyu/
>ちなみにマルクスは「共産主義の第一段階」「共産主義のより高度の段階」
>という用語を使っており、前者を社会主義、後者を共産主義
>と命名したのはレーニンであると。

ふーん、そうなんですか。なんと、その本読んだことないです。なんか分からん言葉で荒涼≠「やいや綱領≠ニかあると、読む気もしないし、んなもの読む義務もない、と。

うーん、しかし、その社会主義の定義ますます酷いなあ。。。
そして、共産主義は、生産技術・生産力が飛躍的に増大してーーーなので、
「必要に応じて」というより「欲望に応じて」だとし、
それゆえ争いのないユートピアである、という発想ではなかったかと。

んで、もともと日本語ではないと。

うーん、ドイツ語は知らんが、英語だと、needでしたか.語源は似ているのでしょう、どうせラテン語とか??必要とも、欲望とも読めるんのではないかなあ。

「必要に応じて受け取る」だと、いつまで経っても配給制で、官僚制を促進するばかりですね。共産主義の一つの結論である国家の消滅もないということとなってしまいそうですね。もし、共産主義の定義が「必要に応じ」であると、この点でも矛盾している、ということになるのかも。

■2002/10/01 (火) その3 −そしてユートピア思想の欺瞞

・ ポケットテッシュ
です。

と今、書いたのですが、 saihikarunogoさんという方が、その1、その2をみて、その3をとある掲示板で指摘しあててしまわれた。うーん、うーん。

こうなると、その4、その5を考えたい。

うーん、その4−・ 消しゴム ですね。

それから、その5−・ ホチキスの針 かと。

ところで
社会主義の定義は、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」だったが、
共産主義の定義は、前記のように「能力に応じて働き、欲望に応じて受け取る」
でよかったかなあ。
「欲望に応じて働き、欲望に応じて受け取る」じゃなかったかなあ。

生産技術、生産力が格段に上昇して、まさに生きがい程度に働くだけで、生活を満足させてしまうという設定だったかと思い、ならば「欲望に応じて働き」だったろうと。

実は、前段が「能力に応じて働き」であれば、嫌なところです。これが、社会主義において、野江力を判断するのが国家ということとなり、職業選択の自由、転居の自由を当然に奪うものとなり、「必要に応じて受け取る」という名の配給制の実施のためと相俟って、官僚制をより推進し、嫌な世の中にしたものです。

そんな社会主義における本質的な権力の集中、また政党組織として民主集中制に則るとき、社会主義はカルト的になり、ファシズムに転化し易いものだろうと思います。
極左と極右は似ている、というのは、こんな事を指すのではないだろうか、と思ってます。

ああ、「欲望に応じて受け取る」の方でも、少しだけ考えれば分かるように
その1ないしその5以外の、例えば住宅などまでも実現できるものではない。

「己の欲するところに従いて、矩を超えず」がなければ共産主義にならないと言うこととなってしまうでしょう。
それは、人の底知れぬ素晴らしさとともにある、底知れぬおぞましさを見ない立場であり、所詮ユートピア思想だと。

んで、逆に「己の欲するところ」を変えればいいのだとして、まず自分を変え、人を変えればいいのだ、なぞと言って極端に行くと、これもまた宗教的なカルトに行き着くと。

なんともお、と思ってます。


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