深沢秋男日記

2つ目の日記

2007年06月

2007年6月
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930


過去の日記
最新の日記
全て表示

日記内を検索


さるさるおすすめ
こだわりショッピング
無料日記を借りよう!


日記を編集
パスワード

count

さるさる日記
■2007/06/30 (土) 内気で女性的な小学生

●私は小学生時代、全く勉強をしなかった。60名のクラスの中で、30位前後をフラフラする、可も無く不可も無しの子供だった。小6の担任の赤井先生のコメントは次の如し。
■1学期、発表ヲ好マズ女性的ニシテ、授業中特ニ活気ニ乏シ。極めて子供は内気にして、女性的な所がみうけられます。男らしいハキハキした子供となるよう御指導下されたし。■2学期、活発ナル学習ヲ望ム。各科共成績向上ノ兆ミユ。明朗活発なる気持に漸次移って参りました。発表も次第に旺盛になることと思はれます。■3学期、成績向上顕著ナリ。顕著な成績向上をみて定めし御父兄にもお喜びの事と思ひます。■学年末、学業全般ニ亘リ佳良ナリ。子供は実に克く活躍して参りました。子供の家庭での躾が斯様な立派な成果を揚げる素因となった事と思ひます。何とぞ新学期には益々努力させて勉学するよう御指導下さい。
●6年生の7月6日、父が58歳で他界した。食道ガンであった。私は、父の死のショックで勉強をし始めたように思う。席次も30位から一気に6位になり、以後、中学も高校もマジメな生活をした(? 英語の時間にテニスをしていた事はない?)。悪玉から善玉に変身したのは、小6の途中かも知れない。このあたりが、友達と私の思い出に、ズレのある原因のようにも思う。

■2007/06/30 (土) 隠し砦の三悪人

●小学校の同窓会に行く度に、私は肩身の狭い思いをする。私の母校・原小学校では富士川沿いの、八日市場・伊沼・飯富の3つの集落の子供が勉強していた。学校は伊沼地区にあったので、飯富の生徒は伊沼を通らないと学校へ行けなかった。この伊沼に、深沢一君と佐野邦彦君と私が陣取っていて、飯富や八日市場の同級生が川沿いの国道を通る度にイジメたと言う。私自身の記憶は定かではないが、イジメられた記憶が無いので、友の言う事が正しいと思う。皆が口をそろえて言う事でもあるし・・・。
●3悪玉のうち、一君も邦彦君もすでに他界され、残るは私のみである。乾杯が終り、お酒がまわり、思い出話になると、何時もこの話題で盛り上がる。もう時効ゆえ謝りこそしないが、3人分のサイムを私ひとりで引き受けている。少し割りに合わないとは思う。
●飯富の斎藤君は、年賀状をくれるので許したと言い、長田君は遠い親戚関係にあるのに、どうしてイジメるのかと思ったと言う。悦子さんは、昼食の時、女性軍を床に座らせ、こちらの食事が終わるまで食べさせなかった事もあったと言う。私達3人はやはり、悪玉であった事は確かのようである。

■2007/06/29 (金) 身延山・久遠寺

●6月26日・27日は小学校の同窓会(末広会)で下部温泉へ行った。恩師・望月昭先生を囲んで、下部ホテルでゆっくり温泉につかり、美味しい料理を頂き、小学時代の思い出を語りあった。参加者は16名と望月先生の17名、やや少ないが、実に楽しい2日間であった。
●2日目は、日蓮宗総本山、身延山・久遠寺に参詣し、拝観した。幹事さんの御配慮で、普段では拝観できない所まで入れて頂いた。昭和6年に天皇陛下より賜ったという「立正」の勅額がかかる祖師堂で日蓮聖人像を拝しながらお経を上げてもらった。読経の中に、望月先生以下私達の名前を読み込み、健康等を祈願してくれた。これも2人の幹事さんの心遣いだろうと感謝した。さらに、御真骨堂の奥まで入れて頂き、水晶の骨壷の中の白い日蓮聖人のお骨を拝ませて頂いた。弘安5年(1281)10月13日没というのだから、725年前の事になる。このお骨は、現在では、ハイテク技術を使って、非常時には、一気に地下に保管されるようになっていると説明された。
●今回の末広会は、いろいろ楽しい事もあったが、直前に友(加藤浩君)を失い、また当日、御主人(ひとみさん)の告別式があるなど、さびしいことも重なった。このような事も人の世にはある。お2人の御霊に心の中で手を合せた。

■2007/06/25 (月) マイコレクション

●SooK CAFE で、HELP!さんが、マイコレクションの作り方、を書き込まれたので、指示に従って、マイコレクション「傀儡子の篆刻遊印」を立ち上げた。私の趣味の1つに篆刻の遊印がある。これは、貧乏研究者にとっては分に過ぎたものである。中国産の石の印材に篆書体の文字で短文を刻する。
●もう35年も前に、池袋土曜会で篆刻家の冨樫省艸(とがし・せいそう)氏に出会った。ここで、初めて蔵書印をお願いする事が出来た。20ミリ四方で「深澤蔵書」とお願いした。その他は何も注文など出来る雰囲気ではなかった。3カ月後、ようやく印影を見せて下さった。見事な出来ばえである。冨樫氏は、私の研究している如儡子と同じ酒田の出身であった。そんな関係もあったのか、気難しい方であるが、私には温かく接して下さり、その厚意に甘えて、私は、蔵書印から遊印の世界へ踏み込んで行った。
●私が、本を読んでいて気に入った文に出会うと、冨樫氏に判断してもらい、合格すれば、印文にしてくれて、刻して下さった。それが、約400本になったのである。「傀儡子の篆刻遊印」→http://www.cafe.magsook.jp/albums/show/119

■2007/06/25 (月) 鶴岡の清野さんの日記

●昨日の研究会では、SL氏(蒸気機関車では無い)が江戸時代の女性の紀行文を取り上げてくれた。金森敦子氏が発見して刊行された『“きよのさん”と歩く江戸六百里』を取り上げて、興味深い御発表であった。
●鶴岡の商家、三井家の主婦・清野は文化14年(1817)31歳の時、鶴岡を出発し、芭蕉の奥の細道の旅程とは逆の順序で江戸へ出て、さらに伊勢参りをして、帰りは日本海側を鶴岡へ帰る。100日間余を費やして日本一週を成し遂げている。
●SL氏の詳細な解読によって、多くの事を教えて頂いた。江戸から出る時、江戸に入る時、東海道の品川宿、甲州街道の内藤新宿、奥州街道への千住の宿、これらの宿場で、様々な行事(?)を行い、旅立ち、また首都へ足を踏み入れていたようだ。
●この頃、流行った伊勢参りとともに、当時の人々の旅の様子が、この清野の紀行には貴重な記録が盛込まれている。当時の諸国の江戸屋敷は国許の住民が上京した折には、様々な面倒もみる、そんな役目も果たしていた事を知った。今回の報告で学ぶ事が出来た。有難いと思う。

■2007/06/24 (日) 焼きたてのパン

●「焼きたて」のパン。あえて定義すれば、「冷めてしまうまで。平均30分〜1時間」といったところか。古屋江美子氏はこのように書いている。
●私はパンが大好きで、結婚前も、結婚してからも、朝食は食パン1枚。ただ、1枚と言っても、8枚切り、6枚切り、4枚切りと一様ではない。今まで、全く無関心で、6枚切りが定番と思い込んで、40余年間食べてきた。
●リタイアしてから、何時からとも無く、ペットボトルの、水・ポカリ・お〜いお茶・アイスコーヒー・牛乳・・・などの飲み物の購入は私の役目になった。歩いて1分ほどの、SEIYU榎町店(24時間営業)から購入している。
●このSEIYUにはパン屋さんがあり、タマタマ、「焼きたて」の札のあるのを買って、以来ヤミツキになった。パン屋さんとも仲良しになり、私が行くと、「有難うゴザイマスっ!」と挨拶までしてくれる。
●食パンの最上級の4枚切りをゲットする。これは13時〜14時に行かないと買えない。超焼きたてのは1斤までしか切れない。私はパン切り専用の最高級の包丁を求めて、対応している。現役では出来ない事だナアー。

■2007/06/21 (木) PCが故障しました

●今日も、若い研究者から、原稿遅延の理由にパソコンの故障を告げられた。以前は、原稿が仕上がらない理由は、体調不良とか、関係者に不幸があったとかが多かった。ところが、最近は、PCがダウンしてしまったというのが多くなった。メールも万全ではない。と言うよりも、不安定そのもの。
●私は、かなり前から、原稿をワープロで書き始めた。やはり、故障で躓いた。そこで、原稿専用の、プロ仕様のオアシス48VLと40APの2台、それに文章作成の2台を常備して、不都合の無いようにした。
●原稿作成がパソコンに切り替わった時も、1台では不安であった。デスクトップを2台、1台はネット用、1台が原稿作成用、予備にノートを持っている。原稿は念のため、本体で作成してもフロッピーにコピーして、パソコンがダウンしても作業は継続できるようにしている。もはや、これは常識ではないかと思う。
●時、アタカモ、ボーナスの季節、若い研究者は、予備のパソコンを購入して、こんな機械のために、自分の仕事が遅延しないよう、準備をしてもらいたい。機械に使われるのでは無く、利用する意識が大切だと、思いオリマス。

■2007/06/19 (火) 小学館、講談社を抜く!!!

●今日の朝日新聞の報道によると、小学館の昨年度の総売上高が、1470億円で、講談社を14億円上回って初めてトップに立ったという。日本の2大出版社の動きは、皆注目してきた。講談社は1909年創立、社員1108名、小学館は1922年創立、社員905名(2002年版、出版年鑑)。この2社は、あらゆる面でトップを目指して凌ぎを削ってきた。
●このところ、出版業界の状況は依然として厳しく、雑誌・書籍の売上高では、小学館が前年比0.8%減、講談社が5.8%減だという。ただ、小学館は、広告収入・著作権料・映画配当などの売上が大きく伸びて、首位に躍進したという。何か、出版文化の世界にも新しい要素が入ってきたようにも思う。
●それにしても、約1000名の会社が年間約1400億円の売上をする、というのは凄い。私がお世話になっていた誠文堂新光社が28年位前に、社員180名で、売上目標が60億円だった。火災報知器のメーカー、ホーチキの社員数・総売上高とを比較して、その差の大きさに驚愕した事がある。生産原価などの関係があるのだろうか。

■2007/06/19 (火) 喜寿の祝い

●昨日は久し振りに神保町へ行った。枚方の畏友・安藤氏が上京するので会いませんか? と言うので、ハイハイと出かけた。待合せ場所の指定は一誠堂書店の中(本の虫ユエ)。1Fの入って右側の国文関係の所と中央の書誌学関係のコーナーを見て、2Fの和本を見ようと、少し早めに行ったら、何とシャッターが下りていて貼り紙に、社員旅行のため臨時休業とある。他の古書店を見て回って時間を調整。
●ランチョンで美味しいビールを頂き、ステーキの昼食を済ませ、すずらん通りの東京堂書店の2階へ。「和泉書院全点フェア」を見た。量も質も見事な出版活動であると感激した。廣橋社長にも専務にも何回かお会いし、お世話になっているが、改めて、そのお仕事振りに敬服した。
●その後、安藤先生は筑波へ行かれるが、ギリギリまで、伯剌西爾で珈琲を頂きながら、四方山話をして時間をつぶした。月1回神楽坂で開いている研究会に枚方から来ると仰る。これは、失礼ながら謝絶した。喜の字(七+七+七)の祝いに、特別の出版を計画していると言うので、全面的に協力すると約束した。モチロン、お互いに生きていればの話ではあるが・・・。2人はJRお茶の水駅で別れた。

■2007/06/15 (金) 浦井先生の名講義

●昭和57年、日本文学研究会の文学散歩は、憧れの上野寛永寺・徳川霊廟であった。立案者の私は謝礼が気になり、浦井氏に伺うと、お気持ちだけ、と申される。会計係の笠間氏と相談すると会の財政もゆとりは無いと言う。ならば、仰せの通り、お気持ちで、と確か1000円位袋に入れた。表には「日本文学研究会」と麗々しく墨書。講義が終わった後、中身の金額を知る私は、オソル、オソル、袋を差し出して辞去した。
●浦井先生の3時間に亙る名講義の謝礼としては、これは、常軌を逸している。担当者として大反省して、御礼とお詫びのお手紙を差し上げた。しかし、先生は、全く意に介する事無く対応して下さった。
●実は、この1件から、私は浦井先生の、この貴重な御研究を何とか、多くの人々に伝えてたいと切望した。当時、誠文堂新光社の教育部門出版部の編集だったので、早速、企画書を提出して執筆を依頼した。それが、『もうひとつの徳川物語 将軍家霊廟の謎』(昭和58年11月12日、誠文堂新光社発行)である。この年の4月に、昭和女子大学へ移ったので、後任の東谷さんが、立派な本に仕上げてくれた。私としては、この本の後で、浦井先生の徳川将軍家霊廟の研究という、本格的な研究書を計画していたが、大学へ転じたために、これは実現されなかった。


■1ページに10件ずつ表示します | 1 | 2 |日記件数 19

☆話題のブログを始めよう!☆
魔法の☆ブログ オートページ かんたんブログJUGEM かわいいブログ ヤプログ!