連載『タイムマシーン』

2002年1月
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  


過去の日記
2002年01月(1)
2001年12月(15)

日記内を検索


さるさるおすすめ
こだわりショッピング
無料日記を借りよう!


メニュー
プロフィール
ホームページ
メールを送信
お友達に知らせる
携帯へURL送信
更新お知らせ
GET XML New!


管理者ログイン
パスワード

count

さるさる日記

2002/01/11 (金) 連載第14回

『錠剤』

第11学年以降私が配属されたクラスは、D-、E-、F-、G-、そして第15学年ではI-クラスとなった。クラスのランクが下がっても、毎日の生活に特別な変化は無かった。
 変ったのは、教室と、そこに集まる顔ぶれ。それからもうひとつだけ変ったことがあった。これもその他の変化と同じようにとても些細なことだった。「確率に関する問題」が私にとって、“最初のMentalなきっかけ”だったとすると、このもう1つの“些細な変化”は、私にとってもっとPhysical、もしくはMedicalな変化であった。
 毎朝目覚めてから教室に集まる前と、教室で過ごす時間の前後半の合い間にある15分の休憩時間と、教室から再び自分のカプセルに戻って、眠りにつく前の計三回、私たちは食事を与えられていた。そのうち、朝食と夕食は、施設の職員によって運ばれてくる。白い制服を着た数人の職員は全員女性だったが、皆無表情のうえに白いマスクと、白い帽子を被っており、一言も発しないまま作業をして、そこから立ち去り、私達の教室とは逆の方向にある建物に戻っていくのだった。
 人間の指によく似た大きさの乳白色のスナック3つと、子どもの顔がスッポリ収まる位の大きさのボールに6分目ほど入った薄いオレンジ色のスープ、それから乳児が片手で握れる程度の、下が平べったい半球形をしたグリーンのゼリーが2つ。その施設に来てから、毎日3回それらが与えられた。
 第15学年でI-クラスに配属されて変わったもう一つのこととは、この3つの食料が乗ったプラスチック製のトレーの上に、小さいな錠剤が2錠加わったことだった。

2001/12/25 (火) 連載第13回

『痛み』 

 第10学年で私が配属されたのは、C-クラスだった。第9学年以降、私は自分の脳を解放させる方法を知っていた。しかし、この段階では、私はそのことを特に何かに役立てようという欲求は持っていなかった。いわばそれは、『ただそうすることが出来る』という単純な認識でしかなかった。なぜなら、私たちはあいかわらず十分な睡眠を与えられていた。そしてその睡眠こそが、私たちの中からあらゆる“疑問”や“拒絶”、そして“感情”、“欲求”というものを排除するためのプロセスだったのだ。
 そういったものを排除された私が、なぜそれでも脳を解放させる方法を試み続けたのか。それは、その後その施設を抜け出した時も、その後、何十年経った後でも、明確に答えることが出来なかった。ただ推測するとすれば、『自分の中で問題を作ってしまう』という過程で起きる、あの一瞬の解放ではなく、それと同時に訪れるあの痛烈な痛み、その痛みを私の脳が求めていたのかもしれない。その方法を知るまでの私は、とても優秀な脳を持っていたお陰で、脳に痛みを感じることも、もちろんそれ以外の苦痛を感じることもほとんどなかった。私の脳は、どこかでその痛みを欲していたのかもしれない。

2001/12/25 (火) 連載第12回

『不確定要素』 

 それ以降、私は色んな問題の中に、ある種の不確定要素を見出すことによって、一瞬の間、脳を解放させることが出来た。最初のうちは、本当にその問題の中に不確定要素が含まれる場合にのみそれを行うことが出来た。しかし、それを続けていくうち、私は色んな問題の中に、意図的に不確定要素を付け加えることが出来るようになった。例えば次のような問題が出された。 『X染色体とY染色体という遺伝子要素がある。アダムがXX染色体、イヴはYY染色体を持っている。二人の子供はXY染色体を持つことになる。XX染色体を持つ場合、それをオスと呼ぶ。XY染色体を持つ場合、これもオスと呼ぶ。YY染色体を持つ場合、それをメスと呼ぶ。アダムとイヴから数えて100代目の子孫の男女比は?』 この問題が出された時、私は自分の脳が計算を始めようとするのを遮って、『アダムとイヴから産まれた子供が、その親であるアダムやイヴとの間に子供を作る可能性を認めるか否か?』という疑問を投げかける。このようにして、私の脳は少しずつ、自分自身の内部で独自に問題を形成することが出来るようになっていった。
 しかし、自分で疑問を持ち、それに対する回答を試みようとする、その行為は、この施設では最も禁じられている行為だった。なぜならそれは、私たちが自分の境遇や、私たち以外の世界に対して疑問をもつことになる、ということを意味していたからだった。

2001/12/25 (火) 連載第11回

『確率』 

 どうやら私の脳は、“確率”に関する問題に対して拒絶反応を起こす場合が多いようだった。ただ、出された全ての確率問題に対して拒絶が起こったワケではない。しかし、自分の脳のこの特性に気づいたことが、その後の私を、それまでと違う方向へと導いていった。
 その日からほどなく、私は第9学年になった。私はやはりA+クラスに配属されたが、私の脳はすでにそれまでのような順応性を持っていなかった。というよりは、自分で、ある程度自分の脳をコントロールすることが出来るようになっていた。例えば、第9学年になった初日に、次のような問題が出題された。 『現在の宇宙とは別の場所に新たに宇宙を作り、その中に現在と同じ太陽系を誕生させる。このために用いる材料を水素原子のみとした場合、水素原子は何グラム必要か?』 この問題を見た瞬間、私の脳は、水素原子の核融合からヘリウム原子、そして炭素原子などの原子を作る為の核融合、それらの式を計算しようとした。しかし、その途中で私は、それら一連の式の中に、ある種の不確定要素を感じ取った。それ以降は確率によってその不確定要素を埋めていく手順なのだが、私はそこで一瞬その計算をためらった。その瞬間、脳に痛烈な痛みが走る。コンピューターは、私がこの問題を拒絶したと判断したのだ。
 

2001/12/24 (月) 連載第10回

『ミカエルの矢』

 問 

 壊れた矢を射ることは出来ない。壊れていない矢が4本ある。リルヲが4本のうち無作為に2本を選んで射った。射った2本の矢を回収して、再び矢は4本集めた。 今度はミカエルがその4本の矢のうち無作為に2本を選んで射った。 ルリヲは残った2本の矢のうち無作為に1本を選んで射った。 ミカエルとルリヲが射った合わせて3本の矢を回収して、再び矢は4本集まった。 さて、集まった4本の矢を確かめてみると1本壊れていた。このとき、ミカエルが矢を壊した犯人である確率は?

2001/12/24 (月) 連載第9回

『クラスA+』

 第2学年以降も私はA+クラスだった。“脳の反射”を養う教育は第5学年まで続いた。その後は、徐々に専門的な問題に対する脳の使い方が訓練される過程へと移っていった。もちろん、基本的な物理法則や数学式などは睡眠中に全て脳内に蓄積されていた。
 第6学年になって、最初に私が目にした問題は次のようなものだった。 『太陽系の惑星が、太陽を中心として全て十字に交わる状態は何秒周期で訪れるか』 この問題がコンピューター画面に映し出された瞬間、私の脳はすぐに全ての惑星の質量を呼び出す。それからケプラーの法則、万有引力定数が頭に浮かび、回答を出すまでに掛かった時間は約3秒だった。第6学年で過ごした100日の間、1日100問で計1万に及ぶ問題が出されたが、私が回答を終えるより先に画面が次の問題に切り替わったのは、256回であった。そのどの場合においても、その後の最適回答をインプットされる過程で私の脳が苦痛をともなうことはなかった。私以外の生徒に関して言えば、優秀な脳を持つ者の方が、他の人間が行った回答方法を脳内にインプットされる過程で拒絶反応を起こす割合が多い傾向にあった。私の脳は、そういう意味で特殊であった。
第7学年になった初日、私はそれまでと同じA+クラスの、いつもの席についた。そして与えられた問題は次のようなものだった。 『プルトニウムを使用して木星を爆破する場合、その後、地球表面上にプルトニウムを到達させないためには、最大何グラムのプルトニウムが使用できるか?』 この問題を含め、第7学年での100日間で、私以外の人間が、私より先に回答を出したのは1万問のうち、57回であった。
 第8学年でも、私はA+クラスだった。しかし、この学年で与えられた1万問のうち、私が最初に回答できなかった問が、2562回あった。しかも、そのうち、1237回において、私の脳は、その最適回答法を拒絶した。最適回答法のインプット中に、脳が拒絶反応を起こすと、一時的にではあるが、私と管理コンピューターとの間の通信が途切れ、それと痛みを伴った。ある日、ある問題に対する最適解答をインプットされている途中、私の脳がまた拒絶を起こし、一瞬脳が解放された。その1秒にも満たない短い間に、私は、私の脳が拒絶を起こすいくつかの問題に、ある傾向があることに気づいた。その時の問題は次のような問題だった。

2001/12/24 (月) ■■■ 訂正 ■■■

連載第6回において、以下の文章を訂正いたしました。

(前:誤)
この施設を学校と呼ぶことが適切であるかは分からない。しかしあえて今それを学校と呼ぶとしても、その学校には一体いくつの“学年”があるのか、私は知らない。少なくとも8学年が存在することは知っているが。なぜならそこに送られてきて、756日が経過したある日(学年は100日ごとに1つ上がる仕組みなので学年で言うと8学年にあたる)、私はその施設を抜け出したのだった。

(訂正後)
この施設を学校と呼ぶことが適切であるかは分からない。しかしあえて今それを学校と呼ぶとしても、その学校には一体いくつの“学年”があるのか、私は知らない。少なくとも19学年が存在することは知っているが。なぜならそこに送られてきて、1853日が経過したある日(学年は100日ごとに1つ上がる仕組みなので学年で言うと19学年にあたる)、私はその施設を抜け出したのだった。

2001/12/19 (水) 連載第8回

『一時停止』

ここまでの記憶を脳内に再生して、彼は再び現実世界に戻った。なぜなら、彼の脳が痛烈な痛みに耐え切れなくなったのである。あの施設を抜け出してから、もう10年近い年月が経ったが、彼の脳はまだ“拒絶”を“痛み”として認識していた。当時の彼はその生活を“当然のもの”として受け入れていた。しかし、今あの施設での記憶を呼び起こして彼は痛みを伴うことが出来た。その痛みは、彼にとって、あの施設を抜け出して、彼が取り戻したかったもののうち、この約10年間で手に入れたものの、ある種の象徴であった。
 そして、もう1つの象徴が、今彼の目の前で、小さな地下室のおよそ3分の2を占領していた。彼はイスから立ち上がると、その金属の塊に歩み寄った。20世紀から21世紀にかけて、世界中のほとんどの都市に存在した電話ボックスを一回り大きくしたような筒状の物体。彼はその側面に額を当てて、暫くの間、脳の中から全ての記憶が吸い取られるような感覚に浸った。額の熱が徐々に奪われていく。
 彼はまた記憶の中へと戻る決意をした。彼は自分の作り上げたその装置を目の前にしても、まだそれを試そうとはしなかった。なぜなら彼は、その装置を持ってしても過去を変えることが出来ないことを知っていたからだった。そしてその変えることの出来ない過去は、常に彼の中に存在していた。

2001/12/15 (土) 連載第7回

『回路』

 私たちは毎日教室に集められる。というよりは、自主的に集まるのである。私たちにとって、“〜される”という受動的な行動は、“自主的に行う”行動となんら区別できないものであった。それは私たちの脳が、拒否や拒絶といった選択肢を一切排除されていたからである。
 教室内には無機質に机が並べられており、それらが私たちそれぞれ専用に割り当てられている。その席につくと、薄い特殊なシートで出来たものを頭に被る。教室の天井にはアンテナらしきものが、机と同じ数だけ取り付けられていた。頭に被ったシートとそれら天井の受信システムによって、私たちの脳内で起こった電気信号が、どこか別の場所にあるコンピュータに送られている。(もっともこれらの仕組みは、この施設を抜け出した後で私が推測したものであるが)。
 2学年の時、そのコンピュータ画面から私が受けた教育、それはいわば“脳内回路の最適化”であった。例えば画面上にある数学の式が映し出されたとする。次の瞬間私の脳はその式の計算を始める。この時、私の脳内で起こった“この式に対する最適な回答法を模索中”という信号が、管理サーバーに送られていく。もし同じ教室にいる私以外の生徒が私より先にその式の回答を出したら、次の瞬間コンピュータ画面は次の式を映し出す。教室で過ごす時間のほとんどは、この繰り返しである。
 そして最後の約1時間ほどで、私たちの脳には、逆にアンテナから信号が送られてくる。今日出された問題に対する最適な解答法、つまりは脳の内部を回路に例えると、その回路内での最適な信号伝達の方法が、脳内にインプットされるのである。
 しかし、私たちはそれぞれ脳内回路の似たもの同士、その優劣によってクラスが分けられているのだが、それでも個人によってその脳内の構造は違う。よって、個人差によってコンピュータが与える最適回答法に対して、脳が拒絶反応を起こすこともある。こういった場合、その信号の送信がパスされる。しかし、その過程で脳内に一瞬ではあるが強烈な痛みが走る。私たちの脳では、いかなる“拒絶”も“痛み”に変換されるらしかった。

2001/12/12 (水) 連載第6回

『教育プログラム』
 
 この施設を学校と呼ぶことが適切であるかは分からない。しかしあえて今それを学校と呼ぶとしても、その学校には一体いくつの“学年”があるのか、私は知らない。少なくとも19学年が存在することは知っているが。なぜならそこに送られてきて、1853日が経過したある日(学年は100日ごとに1つ上がる仕組みなので学年で言うと19学年にあたる)、私はその施設を抜け出したのだった。
 その日のことを説明する為には、いくつかまだこの施設の仕組みや、そこで私が受けていた管理システムについての情報、そして何よりも私がなぜ、そのシステムの中でそのようないわば“特別な”反抗心と好奇心を持ちえたかを、整理しなければならないだろう。
 話を私が2学年のA+クラスにいた頃に戻そう。といっても、私たちの生活は、その施設に送られてきた最初の100日と全く変わらないものだった。朝は専用のカプセルベットの中で目覚める。それからクラスごと20人づつでそれぞれの“教室”に集まる。そしてコンピューター画面に次々と映し出される問に答えていく。私たちが受けていた教育の中には、(少なくともその段階では)“新たな知識を与えられる”という行為は存在しなかった。
 例えば数学の分野に関していえば、私たちの脳はいつの間にかありとあらゆる法則を知っていた。おそらくこれはあの専用のカプセルベットの中で眠っている間に自動的に脳内にインプットされていたのだと思う。
 またそれらの教育に用いられる言語分野に関して言えば、全員出生から10年を過ごした別の施設で、特別な世界共通言語を習得済だった。その10歳までの言語分野の教育は、眠っている間にインプットされたのではなく、皆コンピューター画面と、10日に2度訪れる専門のドクターによって施されたものだった。これは言語というものが、他の科学、数学、物理などの法則と違い、不規則性を含んでいるためであろう。私たちが使っている特別な世界共通言語でもそれは同じであった。もちろん他の言語に比べて最も論理的で、規則的なものであることは確かだったが。

☆話題のブログを始めよう!☆
魔法の☆ブログ オートページ かんたんブログJUGEM かわいいブログ ヤプログ!