深沢秋男日記

2つ目の日記

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さるさる日記

2010/03/16 (火) 23:34:53 お台場のパノラマ夜景

●細君がスタッフとお台場のディナーを楽しんできたが、その時の写真を広げて、何とか1枚にならないか、と言う。バカチョン・デジタルで撮った7枚の写真である。いつも、お世話になっている近所のオナイ写真の尾内さんに頼んでみた。その写真が今日、出来上がった。
●素人がパチパチ撮った7枚の写真をパソコンに取り込んで、フォトショップで接続し、地上の建物や、空の雲の様子を修正したらしい。時間はかなりかかったようであるが、みごとな出来栄えである。プロになると、このような、お客サマの要望にも対応しなければならない。これは、大変な仕事である。
●私は、中学・高校とカメラ狂で、自宅に暗室を造って、写真にのめり込んでいた。カメラ雑誌のコンテストにも応募し、何回かは掲載された。カメラクラブの戸栗会長さんに、写真屋にならないかと勧められたが、これは、遠慮した。自分の撮った写真のために、夜を徹するのはいいが、人サマの写真を現像したり引伸ばすのは、退屈だった。また、同じネガから、30枚、50枚と同階調で仕上げるのは、非常に優れた技術を要求された。とても、私には耐えられない事だった。

2010/03/14 (日) 23:42:26 電子書籍ルール 作成スタート

●今日の朝日新聞によると、文部科学省は経済産業省、総務省と連携して、本や雑誌を専用端末で読む電子書籍の今後の対応に関して、ルール作りの懇談会を設置し、検討に入ると言う。国会図書館・日本文芸家協会・日本書籍出版協会・グーグル・専用端末メーカーなどが参加するらしい。アメリカなどは、アマゾンやアップルという民間が主導権を握って争っているが、日本は国主導で、著者や出版社の権利保護に対応するらしい。今度の、民主党の政権は、こういう、新しいメディアに対する取り組みも、自民党時代に比較して、積極的な感じで、大変結構である。
●国立国会図書館は、蔵書約900万冊のうち、約90万冊を来年3月までに電子化を終える予定だと言う。この電子データは、是非とも活用できる方向で進めてもらいたい。新しい文明の利器は、大いに活用すべし。
●私は、平成17年(2005)に定年退職したが、まず、心配だったのは図書館利用の事だった。しかし、その前年頃から、国会図書館のネット利用が拡充し、以来、私は、大学の図書館にも国会図書館にも殆ど行かずに目的を果たしている。さらに付言すると、このあたりから、交通機関でもSuicaなどが普及し、定期券や切符を買わなくてよくなった。有り難いことである。

2010/03/13 (土) 21:26:30 如儡子・斎藤親盛の「百人一首注釈」

●仮名草子作者・斎藤親盛(如儡子)は、『可笑記』『堪忍記』『百八町記』の他に、「百人一首」の注釈書も書いている。私は百人一首の研究者ではないが、仮名草子作者の如儡子の著作ゆえ、これをパスすることは出来ない。
●如儡子の百人一首注釈の原本は、国会・京大・彰考館に所蔵されていたが、最も優れたテキスト・『砕玉抄』が武蔵野美術大学に所蔵されていた。この写本に私が出会ったのは、平成13年(2001)であった。この写本は列帖装で、私は近世初期の書写本と思っている。以来、今日まで、断続的に研究してきたが、今日、ようやく、全冊翻刻が完了した。
●全209丁、15万8千字、この写本は、本文にも頭注にも殆ど振仮名が付いている。総字数はおそらく40万字になるだろう。この著作の翻刻作業は、全てパソコン入力であったが、長い長いトンネルを抜けたという感じである。しかし、近世初期の著者が、心血を注いで書き上げた注釈書であるから、これくらいの苦労は当然と言えば当然である。
●原稿を出版社へ渡すまでには、まだまだ、やるべき事がたくさんある。さらに、2つ目、3つ目のトンネルを潜らなければならない。そこまで、生きていられるか、不安ではあるが、表章先生の御研究を見習って進めたいと思う。

2010/03/13 (土) 00:16:31 日記 10万突破

●昨日、23時過ぎに「深沢秋男日記」のアクセスが10万を突破した。私は、ウェブ日記は、1999年から書き始め、「さるさる日記」は2002年から書き始めた。8年間、ひまひまに書き込んで、この、愚にも付かない日記を、延べ10万の方が見たことになる。読んだというよりも見たとするのが適当だろう。現在は「fuakiの日記」と2つ書いているが、内容はほぼ同じ。「fuakiの日記」に書いて、それを修正しながら「深沢秋男日記」にコピーしている。「fuakiの日記」には、写真が添付されるので、少し面白い。
●原稿書いたり、本を読んだり、テレビを見たり、新聞・雑誌を読んだりした、ヒマヒマに書き込む日記である。殆ど、ブッツケで、書いている。それにしても、このところ、筆禍事件も無く続いて、私もマルくなったと言える。
●平成11年(1999)・12年のものは『芸文稿』第2号に活字化した。平成13年分は、第3号に収録した。この3号は、間もなく発行される。ネット情報はあやふやで、何時消滅するか分からない。しかし、一旦発信した情報を消すのは、もっと、もっと大変である。不可能かも知れない。

2010/03/12 (金) 20:13:21 表 章 先生 恩賜賞・日本学士院賞 受賞

●日本学士院は、2010年度の日本学士院賞を11名の研究者に贈ると発表した。その中に、法政大学名誉教授の表章(おもて・あきら)先生も入ってる。表先生には、恩賜賞も贈られるという。心から祝福申し上げる。
●表先生は、東京文理科大学を卒業され、法政大学の教授となり、中世文学、特に能楽の研究をされた。1927年生まれで、82歳である。『鴻山文庫本の研究』という労作・名著をはじめ、多数の著書がある。法政大学野上記念能楽研究所の所長もされた。
●私は、近世文学専攻ということもあって、大学卒業後に、先生の講義を聴講させて頂いた。研究も実証的で厳密であるが、授業も厳しかった。先生は、長澤規矩也先生と行動を共にされることが多かったのか、その関係で、私は、いろいろの催しに、表先生と同席させて頂いた。研究一筋の表先生は、心から尊敬していた先生であり、この度の、名誉ある受賞は、本当に嬉しい。
●私が昭和女子大学にいた頃、夕方、法政へ行った時、先生は大学からお帰りで、外堀の所ですれ違った。ご挨拶をしたら、これから大学? と問われた。先生は、私が法政で教えていると思っておられるようだった。学問一筋の先生には、そんな、超世俗的な一面があった。
●とにかく、先生の御研究が、広く認められ、このように、素晴らしい賞を受けられた事に、心からのお祝いを申し上げる。

2010/03/10 (水) 16:05:58 恩師追悼 鈴木重嶺

●注文していた本が古書店から届いた。明治17年に鈴木重嶺が出版した、歌の師、村山素行(むらやま・そこう)と伊庭秀賢(いば・ひでかた)追悼の歌集『志能夫具佐(しのぶぐさ)』である。
●最後の佐渡奉行を勤め、維新後は歌人として活躍した、鈴木重嶺・翠園は、旗本の頃から歌を学んでいたが、その師匠は、村山素行であり、素行没後は伊庭秀賢の指導を受けた。素行は天保6年(1835)に64歳で没し、伊庭秀賢は明治5年(1872)に73歳で没した。重嶺は、明治17年に、恩師・素行没後50年と、秀賢13回忌を期に、追悼歌集『志能夫具佐』を出版した。
●『志能夫具佐』  鈴木重嶺 撰  明治十七年序
「ことし、十一月十六日は先師、宝所庵翁の五十年忌、後の師、詞林園翁の十三年忌にあたれり。たゝし、後の師は、月はおくれたけと此をもともにして、追悼の筵をひらき、やことなきあたりにこひまつり、親しき友たちにもこひ、をしへ子にもよませたる、かなしみの哥、こゝらの数になりにたるを、まとゐにまゝ此し人たちにも見せまゐらせむとて、かくはものしつるになむ。又、其日、床にかけし宝所庵翁の碑文と詞林園翁の略伝とをも、人々にしらせまほしくて、巻のはしめに起し出つ。時は、明治といふとしの十あまり七とせ、しはすはかり。 翠園鈴木重嶺誌」
●追悼歌集には、「村山素行翁碑面」と「伊庭秀賢翁略伝」が収録されている。いずれも、伝記資料としての価値は高いだろう。追悼歌を寄せるのは、久我建通・松浦詮・勝海舟・高崎正風・小中村清矩・黒川真頼・井上頼国・鶴久子・中嶋歌子・・・などである。
  うけ継し教へもなかは遂なくに昔は遠くなりにけるかな 従五位 鈴木重嶺 

2010/03/08 (月) 21:52:32 わざゼミ 2008 報告展

●奈良の出村氏から「わざゼミ 2008 報告展」の案内状が送られてきた。
「わざゼミは、創作活動を行う方を対象に、伝統工芸に受け継がれている技術を学び、体験する機会を提供する事業です。本展は、2008年度の参加者による報告展です。 京都芸術センター」
■時:2010年3月1日[月]〜9日[火]
■所:京都芸術センター (京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町)
●出村 実英子
2005年 京都造形芸術大学通信教育部芸術学部美術科染色コース卒業
2005年 朝日現代クラフト展 奨励賞
奈良の作家による工芸展
2006年 新匠工芸展 入選
2007年 出村実英子織展 ギャラリー猫亀屋(大阪)
2009年 出村実英子織展―寂光― 千疋屋ギャラリー(東京)
●昨年、東京駅近くの千疋屋ギャラリーで、出村さんの作品展を初めて観た。紗のように薄い絹の布に、地味ではあるが繊細な色彩を織り込んだ作品、気の遠くなるような技の集積がひしひしと伝わってきた。その出村さんの、2008年の「わざゼミ」への参加作品の展覧会の案内状である。実は、彼女は、昭和女子大学の私の教え子である。卒論は芭蕉の『奥の細道』だった。今後の、さらなる精進を願う。

2010/03/06 (土) 11:36:45 小手指駅 小史

●今、小手指駅前、北口は大ビル建設のラッシュである。駅前から行政道路へ向けて広い道路があるが、その両側の駅前の8700余平方メートルの広大な空地に、2つのビルが西武鉄道・三井不動産によって建てられ始めた。駅前に地上27階・地下1階の高層ビルが2つ出現する。
●私が千葉の新検見川から埼玉の小手指に転居したのは、1977年(昭和52年)であった。小手指駅が開業して7年後のことである。駅のホームには屋根が無く、駅舎も簡単な建物だった。北口駅前の広場には大きな松が5本も6本も生えていて、家は無く、ただ広い道路が延びていた。
●私は、北中の購入物件を見る前に駅長室を訪ねた。駅長さんは、この広大な駐車基地を見て下さい。ここは、池袋と終点・秩父の中間にあり、西武鉄道としても、これだけの広い土地は、今後、購入できません。従って、この駅始発が半分あります。通勤には最適ですよ。駅舎は、近々、東村山駅と同じ規模になります。私は、この駅長さんの情報で、ここに家を購入した。
●当時、駅周辺には、ファミリーマートが1軒あるだけで、店は無かった。それから30年余が過ぎた。駅周辺には西武系のマンションが次々と建ち、SEIYU小手指店がオープンし、現在、駅前北口の広い空地に、27階と23階の広大なビルの建設中である。小手指駅の1日の利用者は、駅開業の1年後は1万人余であったが、現在は約5万人である。人口も急速に増えて、洗練された良い街になった。
小史写真→http://d.hatena.ne.jp/fuaki/

2010/03/05 (金) 12:24:50 「みのぶ・ふるさと便」第3回 届く

●「みのぶ・ふるさと便」第3回が、午前中に届いた。箱の中には、みのぶ生湯葉・みのぶまんじゅう・さくらくず湯、などと『広報みのぶ』やさまざまな通信があり、さらに、旅のお誘い・おまけとして、黒文字の枝(楊枝も)・沢クルミと富士川の石・梅の枝・バケツ稲マニュアル。
●みのぶまんじゅう、は身延山久遠寺へ行く途中で売っていて(栄昇堂)、高校生の頃によく食べた。早速、一個賞味、こんなに甘かったかナ、と思う。黒文字は近くの本栖湖周辺に自生しているとのこと。初めて手にした。説明のメモを見て、早速、削ってみたら、本当に良い香りがする。梅の香りもみごとである。富士川の河原で拾ったというクルミと石二つ。この石でクルミを割って食べなさい、とある。子供の頃、富士川べりのクルミの木の下で拾った事を思い出す。石ころには、スタッフの心のこもった絵が描かれている。ペーパーウエイトにどうぞ、とある。小学・中学の頃、富士川でよく泳いでこれらの石の上を歩いたなーと懐かしい。
●ふるさと便のスタッフの皆さん、心のこもった便りを有難うございます。謝々。

2010/03/05 (金) 08:42:05 ECOVENT(エコベント) 特許取得

●齋藤金型製作所のHPにビッグニュースが発表された。かねて開発申請中の新製品が特許取得したという発表である。社長以下社員が一団となって取り組んだ成果として、心から祝福申し上げる。ECOVENT(エコベント)とは次のようなものらしい。
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特許取得
新製品「エコベント(型内ガス排気システム)の開発に成功し、特許を取得しました。これにより、今まで問題となっていた、金型寿命の低下、金型メンテナンス工数の増加、不良の増大、環境への負荷の増加、高精度化に対する樹脂の充填率の増加などを一気に解決できます。
【2010年3月1日】
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●文学畑の私には、内容は十分に理解出来ないが、金型製作上画期的な開発であることは分かる。仮名草子作者、斎藤親盛(如儡子、延宝2年、1674没)も、自分の子孫が、このように活躍していることを知れば、喜ぶだろう。如儡子研究がライフワークの私も、非常に嬉しい。

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