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■2006/01/01 (日)
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子育てのことばっかりじゃないですが(^^;
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長女の睡眠障害が再発した。朦朧としながら起き上がろうと苦しむ彼女の毎朝の姿を、平常心で見守るのは辛い時もある。
それでも、なんとか目を覚ましたあとの彼女は非常に明るく、そして家族に優しい。だからこそ可哀想に思う気持ちが募る。
それでも、表向き平常心でいつもと変わりなく接するのはこちらも少し精神的にキツイ。
でも、世間の誰も理解してれなくても、家族はあなたの味方だよ。一緒に乗り越えようネ。
次女は中学に入ってマーチングバンド部に入部した。それまで次女は音楽に縁の無いタイプで、むしろ長女の方がピアノも習っていたしそいうことは得意だったのだが、楽譜さえも読めない次女が楽器の演奏など本当に出来るのだろうかと最初は心配もあった。しかして、次女はトランペットを必死に練習し既にいくつかの大会に先輩たちと共に出場する状態にまでなっている。
この夏休みには、まずは最初に合宿で北海道に行き、次に大会で高知県に行きと、全国行脚で大活躍中。
マーチングバンドは行進しながらの演奏だけではなく、ドリルと呼ばれる様々な動きをしながらの演奏があり、音楽と言ってもこれは殆どスポーツに近いものだ。また、娘たちの学校は中学高校が一緒なので部活動も高校生と一緒、大会も高校の大会に出場している。先日、大会のビデオを手に入れたが、コスチュームにテンガロンハットという出で立ちで一糸乱れぬ動きと演奏をこなしている次女の姿に、私と長女は「スゴイ、カッコイイ!」と大絶賛。
高校生たちにまじる数名の中学生、更には、中学1年生はたったひとりという状態で、娘は部活動を殆ど休むことなく、体力差のある高校生たちと同じ練習をこなしている。学校側も、同学年の中たったひとりで一番年下という状態で頑張る次女に、格別の配慮をしてくれているようだ。
マイペースな次女はそんな回りの配慮にはとんと気が付かないようで、おだてられてその気になって張り切って練習に励む姿が微笑ましい。小学生の頃はいつもシッカリ者の長女にオカブを奪われていた次女だが、今や彼女がスター☆
そういう立場がよほど嬉しいのだろう。そのうち実力の壁やスランプにぶち当たる時もくるだろうけれど、今の努力を積み重ねていけば、きっと乗り越えて更に成長出来るだろう。
毎日(休日もすべて)練習というキツイ部活だが、本当に良く頑張っている次女。そして、家に帰ると、疲れたお腹すいた暑い、と愚痴を連呼して大騒ぎしたかと思うとあっという間に寝入ってしまう。まさにバタンキュー。
疲れきって寝入る次女の寝顔は昔とちっとも変わらず、あどけない寝顔。
そんな姿を見守りつつ応援する私です。ガンバレ、ハルちゃん。
日記をサボっていたらいつの間にもう9月。夏も終わりにさしかかってる。
夏休み、長女は補習に真面目に通い、それ以外の時間は仲間と作ったダンスサークルのイベント開催に全力を尽くしていた。打ち合わせとか、街でパーケンを配ったり、チラシのデザインを考えたり、手作りの旗を皆で作ったりと、目まぐるしそうだったけれど、とても活き活きとしていた。
ダンスサークルやイベント(昔で言うダンパ)は、昔は大学生のオハコだったが、今や大学生はバイトや就職活動に翻弄されていて、サークルの主流は高校生に移ったらしい。
イベントの運営経験は社会に出ても役に立つから頑張りなさい、と娘を応援して私は見守り、どうやらイベントはそれなりに成功したようだ。私も仕事柄イベントの運営に携わることがあるが、こればかりは経験値がモノをいう世界である。それぞれがそれぞれの役回りを理解して臨機応変さを発揮するのがイベント運営でもある。
長女は初めての経験で、下っ端役だったし、普段はロクに手伝わないのにオイシイところだけを持っていくような輩がいることや、脚光を浴びる人の後ろに裏方で駆け回る人がいることなども学んだようだ。
「裏方があってこそイベントは成功するんだよ、誰が認めなくてもあなたは良く頑張っていたとお母さんは認めるよ」と言っていやると、長女は少し嬉しそうにしていた。
1学期は、長女も学校生活などで色々苦い経験もしたけれど、様々な経験が彼女を成長させていると私は確信している。2学期も頑張ってほしいナ。
娘たちの受験や病気や反抗期などやや大変な時期を乗り越えて、長女・次女とも無事に高校・中学に進学し4ヶ月が過ぎようとしている。娘たちは夏休みに入り部活やイベントやバイトなど、それぞれに忙しく、そして毎日を活き活きと過ごしているようだ。
私も受験期には手控え気味だった仕事へのエネルギーを、今は全開にして忙しい日々。なにしろ学費を稼がなければという使命があるので、仕事にも張り合いがある。
受験前は少々荒れ気味だった我が家だが、過ぎてみると、今はその前よりもずーっと家族が仲良くなり、そして落ち着いているように思う。振り返るとあの大変だった時期も我が家にとっては必要なことだったのかもしれない。
ここ数ヶ月とくに長女の私に対する信頼は一気に上がったらしい。私は何も変わってないのだが、娘が私への理解を深めてくれたようだ。
私は、子どもたちが幼いころは随分と厳しい母親だったと思う。子どもたちはそれに素直に応えて逞しく育ってくれていた。でも、中3の時に病気で挫折し荒れる長女の姿を目の当たりにし、更に私への攻撃や非難の言葉を聞いた時には、彼女を厳しく育てたことが本人にとってどれほどの負担であったのかと、自責の念にかられたのも事実だ。
しかしその時期を自ら乗り越えて今強く明るく生きる娘を見ていると、彼女の根底にある強さは、やっぱり厳しく育ててきたことで身に付きベースとなったものだろうと感じる。
私自身も厳しく育ったことを後悔していないように、彼女も自分が強く育ったことに価値を感じ始めたようだ。
娘たちも少しずつ大人になり、冷静な目で親を見るようにもなってきた。
私が持っている隠し切れない多数の欠点も、そして努力してきた生き様も全部含めて、娘たちが私を認めてくれているということが素直に嬉しい。誰に理解されるよりも本当に嬉しいと思う。
娘たちが思春期を迎えても、こうやって家族や姉妹の結束が固いことが嬉しい。親子も姉妹も仲がよくて家族愛に包まれている我が家。互いに、どんな道を歩こうとも、常に認め合い応援し合える私たち家族。私は未熟な人間だけれど、母親としてはそこそこ頑張ってこれたんじゃないかなと、この頃思えるようになった。
ずっと以前この日記に、子育ては賭けだ、と書いたことがある。賭けの勝ち負けはどうでも良いことだが、少なくても、娘たちの笑顔を私は守り切ったのかもしれないと思う。
そしてこれからは、娘たちが自ら歩く姿を見守る役目を最後まで果たしていこう。
数年前、病気で入院したことがある。高熱と吐き気に朦朧としながら病院の天井を眺めていたことをなんとなく覚えている。あの時の具合悪さは半端じゃなくて、テレビを3秒見るだけで目が回った。高熱が跳ね上がるたび全身に悪寒と苦痛が走り、ナースコールを押す手が震えた。病名がハッキリするまでの間は、薄れる意識の中で死を覚悟もした。
しかし、そんなヒドイ状態は最初の10日あまりで、その後は少しずつ回復し、私は個室から大部屋に移った。そこにはガン患者が2人、C型肝炎が一人、腎炎が一人、検査入院が一人。検査入院者以外はいずれも重症の老人ばかりだった。私は全員にニックネームをつけて○○ちゃんと呼び仲良く過ごした。重症の人たちはみんな笑顔を見せ、私が配るおすそ分けのフルーツに喜んでくれたり、時には手を握って涙を浮かべ、ありがとう、と言ってくれる人もいた。病室は一時は明るかった。
しかし、私は日を追うごとに回復し、回りの老人は日を追うごとに悪化していく。私の退院間近の時期には、殆ど危篤状態で個室に移っていった人が2人いた。その人たちは二度と戻らないと知りながら、手を握って「またね」と見送った。昨日まで笑顔を見せてくれた人さえも、こうやって命の灯火は消えていく。病院とは不思議なところで、人の死を受け入れられる場所でもある。当たり前のように人が死に、そのベッドに次の患者がやってくる。異国のように日常とかけ離れた世界だった。
あの時から、私は生きることへの価値観が変わった。
最後の瞬間まで、涙を浮かべてありがとうと言ったあの人達の笑顔は、その瞬間を輝いて生きる命の逞しさが溢れていた。消えゆく命さえもこれほど輝くのなら、自分はもっと輝いて生きているはずなんだと、その時気がついた。
夢を見た。
朝起きて、となりにいる人の背中に声をかけようとしても声が出ない。
声を出そうとすると、苦痛で息が止まりそうになる。
隣の背中はだんだん遠ざかっていき、
声にならない声を絞り出そうとして目が覚めた。
ずっと昔、実際声が出なくなるという状況に落ち入ったことがある。
失語症というヤツだ。
無理に声を出そうとすると、大きな苦痛に襲われそして涙が滲む。
あの苦しさを12年たっても忘れられずに、こうして時々夢に見る。
記憶は忘れかけても、体は覚えているらしい。
あの頃の、血を吐く思いで生きた日々を。
半年前に仮眠症という病気になって以来、長女はその前と比べると思慮深さや理性という能力がやや低下している。それは例えば、いつも電気を消し忘れるとか約束を簡単に破ってしまうとか、感情的になると自分を抑えきれない、というような行動になって現れる。
元々責任感が強く忍耐強かったそれ以前の長女と比べると、まるで違う人のようになった彼女を最初は俄には受け入れ難かった。
それから約半年。
病気は治ったけれど、失われた思慮深さは完全には元に戻っていない。でも私たち家族は、今では、そういう彼女を受け入れて以前よりもずっと伸び伸びとした彼女の素直で優しく明るい表情に、今まで以上の魅力を見出している。
で、先日長女は学校の先生と些細な誤解から大喧嘩をした。原因は先生側の勘違いだが、いきなり濡れ衣を着せられ攻撃を受けるということを一日に2度もする羽目になった不運な状況によって彼女は自分を抑えられなくなり、怒りのあまりその時手にしていたヨーグルトを床に投げつけて学校を飛び出したそうだ。
理由を聞いた私は、彼女を責めなかった。
ヨーグルトだけは勿体無かったネと苦笑しながら。
そして、彼女に病気以来思慮深さが低下していることや、そのせいで気づかずに人に嫌な思いをさせたり悪い印象を与えることがあること、そのせいで思わぬ先入観や誤解を受ける可能性があることを、辛くても自覚しなければならないと話した。そして、それで誤解を受けて責められ自分を抑えきれない時があったとしても、後からでも相手の気持ちを思いやらなければいけないことや、居直って自分を正当化することしか出来ないような心の弱い人にだけはなってはいけないことを話した。
娘は黙って聞き、そして純粋な笑顔で頷いた。
前を向いて乗り越えようとする精神力を感じるような、力強い笑顔だった。
執筆業務が本格稼動。
これから月末まで、書いて書いて書きまくります。えぇ。
書く内容は、私が最も書きたい「生命保険をわかりやすく解説する」というものだ。だからどんなにキツクても嬉しい仕事だし、いつも頭に思い描いている内容を書くので大きな苦にはならないと思う。
だが、それなりの執筆量(100P以上)なので、締め切りを思うとちょっとプレッシャーだったりもする。月末近い頃には、きっとストレスも溜まっているだろうなぁ。
でもがんばるぞ。7月には晴れて完成させ、少しのんびり出来るとイイナ。
先日、知人の男性に後ろから急に肩を揉まれて、思わず「さわんなよ!」と叫んでしまった。。。どーもね、私はふいに触られることが非常に苦手だ。っていうかさー、それって普通だよなぁ。
家に帰ってからその話を子どもたちにすると、爆笑されながらも「その気持ちわかるよ〜」と言われた。長女も、授業中にノートを書いている時に、回ってきた先生にふいに後ろから肩を叩かれた、思わず「フンギャーー!!」という叫びが出たそうな。(爆)
まぁ、当然だろう。女性なら誰だって、ふいに肩を触られるのはイヤだよね。
何かに集中して無防備な時ほど、思わぬ叫び声が出てしまうものだし。
私は「さわんなよ!」で、長女は「フンギャー」・・・わははははは。
で、私に、さわんなよ!呼ばわりされたその人は「俺がちょっと触っただけで・・・」とブーブー言っていた。オイ、そういうのをセクハラと言うんだよ。
更には「オサワリじゃなんだから」などとのたまっていた。同じじゃ、ボケ!
謝りもせずに被害者面かいな。いっぺん女になりなさい。
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