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かなり久しぶりに うつ波がやってきました。
2日以上続くと「波」と呼ぶことにしています。
前回がいつだったか覚えていないくらい久しぶり。
昨日は1件だけ行って、早退させてもらい
しっかり休んで充電できたはずなのに、ふわふわしてます。
手もうまく動きません。
でも、最悪な体調ではないです。
歩くのもきついけど 食事とかは摂れそうです。
明日は出勤日。早く持ち直してくれないかなぁ
週4勤務は まだ早かったのかもしれない。
もうちょっと考えてみます。
今日は雨予報だったのに降られなかった〜〜〜
雨が降るとヘルパーのバイトは自転車なので
上下雨具なんです
それでもって利用者宅に入る前に玄関外で脱ぎます
これが意外と時間を食ってしまうのと
伝票(仕事をやりましたよ。というハンコをもらう)を
濡らさないための努力とか
地方だと車でヘルパーをして 傘だけで大丈夫なのかな?
病棟で出逢い、愛し合った彼女が亡くなって丸6年
早いもので7回忌です
彼女の母は韓国人で彼女がたしか23歳の時に亡くなりました
父親は北朝鮮兵で行きずりの相手だったようです
彼女には兄弟もなく独りぼっちでした
彼女と結婚するつもりで韓国大使館に行き手続きを聞いたら
済州島と言うところに戸籍があるので取りに行くように言われました
韓国語も全く知りません 韓国の(むろん日本の)パスポートもないのに
どうやって行くのか?不親切だな! と思いました
日常生活をするのには籍に入ってるかいないかはあまり関係なので
そのままの状態で数年間 半同棲みたいな感じ
彼女のアパート(長屋みたい)古い家も2人で頑張って修理して
ベランダが出来たり、洋室が出来たりしました。
バイト先は彼女の家のすぐ近所なので、週に3回は会えました
しかし彼女はODやリストカット、自傷する傾向が強く
2ヶ月に1回ほどのペースで薬をたくさん飲んでひっくり返ってました
おそらく独りぼっちで家に居るのが淋しかったんだと思います
もちろん、危ないと思われる状況だと救急車を呼びます
危険じゃない場合なんて無いのかも知れませんが
「ボクの判断で」救急なのか決めていました
3/23 夜10時頃に会いに行ったら また寝ていました
顔色も良く、排尿、嘔吐の気配もなく 気持ちよさそうでした
どのくらいで目が覚めるかな〜 とぼくも同じコタツで横になりました
3時間ほど寝ていたら 彼女が冷たくなり始めていました
ボクの腕の中で息を引き取った彼女に
「ありがとう。おつかれさま。愛してるよ」と言いました
30分くらいしてからかな?警察と救急に電話して来てもらいました
2人が出逢った病院に搬送され 死亡が確認されました
それまでは自分でも驚くほど冷静でしたが、身元引受人
(彼女の遠い親戚)やボクの家族が到着し、ボクは崩れ落ちました。
救急車を呼ばなかったことへの判断の失敗は後悔していません
後悔しているのは 当時のボクの知識の未熟さです
生活保護 障害年金 デイケア 作業所 などの情報を
もし今だったらどれだけ伝えられたかと思います
退院後、独りだった彼女の生活をもっと向上させれたと思います
今日は雨の中の墓参りでした
彼女のことは忘れませんし 忘れたくもありません
今後もずーっとそうです
桜の芽が膨らんだこの頃は 調子を崩します。
想い出が 多すぎて。。。
遙と彼方 2匹の猫を飼っていました
ヘルパーのバイトが慣れてきた時期に遙が事故で入院しました
一生懸命生きようと必死でしたが
「峠は越えた」と言った 獣医の言葉の2日後に亡くなりました
夜勤明けに携帯に電話が鳴り 急いで家に戻りました
まだ 遙は温かかった。いや 冷えはじめていた。
強く抱いたら 尿が出てきました
彼方は遙が2歳頃に来た 血縁猫です。
彼方には何が起こったのか分からなかったと思います。
彼方が来てくれていたお陰で 悲しみは半分で済んだかも。。。
彼方、これから20年?15年? 遙の思いも乗せて
いっしょに生きていくよ!
彼女の命日は明後日 24日 7回忌になります。
眠剤が効かずに徹夜でヘルパーでした。
しかも1日、雨!
しかも土曜は回る件数が6件ほどでとても多い!
学生じゃあるまいし頭痛がひどくて なんて言い訳も出来ないし
うつが重くても まだ言ってない。
ザーザーぶりのなか自転車を漕いで
訪問先の玄関を濡らさないように 外で脱着。
でドアをノックしてもいなくて
利用者さん曜日間違えて出かけてるし!
昔から仕事が辛いときに考えるんだけど
自分よりも「えぐい仕事」してる人のことを思います。
例えばどこの国にでも昔はあった奴隷制度 強制労働などなど
それに比べたら「ボクの辛さなんてまだまだ!」気合いを入れます。
障害があるから出来ないじゃなくて
障害があるから「こそ」健常者と同じになるには
それ以上の努力が必要だと思います。
強気で書いていますが 実際にそこまで完璧じゃないっす。
ただ、病気が悪化しない程度の所までは頑張りたいです。
今日が初日の利用者の方がいらっしゃいまして。
その方を高台からおんぶして駐車場まで「安全に」下るのが
ボクに与えられた仕事(介助)ですが
なんと100歳にしてデイサービスデビュー♬♪♫
お名前にも「寿」が付いていて ボクも幸せになれる気分w
あと大正生まれの90歳の方の家の掃除がありました。
お話をするのがとても楽しみで、
ぼくも昔話を描きながら傾聴しています。
フィリピンに太平洋戦争で行き、捕虜となり帰国したと。
銃弾は腕と足の裏に2発当たったと。
負傷してジャングルで数ヶ月隠れてたと。
自分の部隊の27人が機関銃で撃たれ3人だけ生き残ったと。
捕虜中はコオロギ は虫類 草などを食べていたと。
10代で「ものつくり」に興味を持ってその世界に入り仕事をして
病気になって今は介護職をしています。 がボクの人生ですが
その方は青春時代〜大人になるまで(現在も)戦争一色です。
「立派」「悲惨」とか「すごい」じゃなくて
なんだか 強烈なパンチを喰らった感じでした。
高齢者との会話を大切にしていきたいと思いました。
皆勤は2ヶ月半で途切れちゃいました〜〜〜
昼間の1件は出来たけど
朝と夕方の訪問介護は辛くて休ませてもらったんです。
またこれから なるべく皆勤をしていきたいです。
今度は前回以上を目標に。
大きく分けて 身体介助と生活介助が あるのですが
・身体介助は 清拭・入浴・同行(歩行器などで)など
・生活介助は 食事・掃除・買い物など
みたいになっています。
先輩ヘルパーから「一通り出来る」と判断されました
\(*゜▽゜)/ わぁ〜〜〜い♪
テープ式オムツ&パッドの装着が もうちょっと経験が必要です。
1人で介助を任される家も増えました^^
バイトが11月から始まって1ヶ月。
休み0 遅刻早退0
ちょっと、うつっぽい日もあったけどこなせました。
次の目標もとりあえずは「1ヶ月」にします。
先輩ヘルパーに同行して勉強するはまだ続いていますが
1人で行く利用者宅も出来ました^^
まだオムツ&パッド交換が下手です。
経験して上達したいです。
まだ続いてまーす
自転車で町内を走りまくるのは健康的ですが
先輩ヘルパーの漕ぐ速さは尋常じゃなく
付いていくだけで腿がパンパンです
仕事的には向いてそうな気がします
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■2009/11/02 (月)
ヘルパーのバイト 初日 |
\(*^▽^*)ノ ハーーイ
けん太、久しぶりに企業に属しました。
町内を走り回る「訪問介護ヘルパー」です。
1日6時間ほど(実働3時間ほど)自転車で回ります。
だいたい訪問するのは3件です。これからも。
いやぁ〜〜〜 嬉しいっす。
久しぶりのユニフォームまで支給されて嬉しいっす。
自転車でこいでるのも運動になって気持ちよかったし
仕事内容も以前と比べると、かなりラクそう^^
「この利用者は大柄」と言われたけど、うんと小さくて軽そうでした。
次は木曜日。一生懸命メモを取って観察して上達したいです^^
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