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年末が近づいていることもあって、片付けキャンペーン
絶賛実施中。私の場合、危険区域が二箇所あって、
一つがドレッサー周り、もう一つはクローゼット。
どちらも一年以内に使わない、着ないものは
処分するとしたら、かなりすっきり(但し当社比)。
ちなみに私の片付けの先生は菊ちゃん。師曰く
「掃除が嫌いな人は、掃除がしにくい環境
(つまり片付いてない)を作ってしまうから、
掃除が億劫になっちゃうんだよ」
かなりの名言だと思う。
毎年処分に悩む服がある。
紺色のノースリーブのニットと、黒の半そでニット
で、どちらも滴型のスワロフスキー製ビーズがついている。
どちらも似たような感じだから一枚買えばいいものを、
両方とも気に入ってしまって大人買いした。
当時の私にしては高い買い物で、私は結構得意だった。
大人になるっていいなぁ、好きなものを自分で買える。
このニットはどちらも最後の一点(今思えばセールストークだ)
というのもなんとなく嬉しかった。
お金を持って伊勢丹に行き、その中から好きなものを選ぶ。
もしすぐに手に入らないものであるのなら、貯金をして買う。
あの頃、私はそれは人生も一緒だと思っていた。
人生とは「選ぶ」ものであり、
努力でどうにかなるんじゃないかと本気で思っていた。
でもさ、人生って選べないよね。もっと正確に言うと、
人生を選べる人とそうでない人がいるんだよね。
先月の中頃、「がん疑惑」が勃発した。
体調が悪くて病院に行ったけれど、「何でもないですよ」
と先生に言われるだろうと思ったのに、いきなりがん検査
をされてしまった。嫌なことがあると、包み隠さずに
周りに打ち明けて迷惑をかける私だけれど、今回は
そんなでもなかった。親にも旦那にも話さず、菊ちゃんとか
にはちょこっと話したけど、ともかく私にはしては
ありえないくらい静かにしていた。
(菊ちゃんは却ってそれが不気味だったらしく、
泊まりにきてくれたりした)。
癌であって欲しくない、でも、同時にそれもしょうが
ないとも思っていた。だって人生は選べないんだから。
もし癌だったら、手術をしなければいけなくなる。
私は自分でも冷静なくらい、身の周りの準備や片付け
をしていた。エモちゃんに頼んで、いざという時の
お医者さんを確保した。
木曜日に結果を聞きにきて、といわれて午前中に
病院に行くと、私の検査結果がまだ出ていなかった。
他の人の結果はもう帰ってきているという。先生は言った。
「検査結果の戻りが遅いということは、異常がある場合が
多いんだよね。覚悟しておいて。また午後に来てください」
旦那に電話をし、エモちゃんに指示を仰いだ。
手術となれば、今の仕事をやめないといけない。
どのタイミングで上司に話をすればいいんだろう。
その日はヒデノブとご飯を食べる約束をしていたんだけど、
とりあえず手術の日が決まってから、話そう。
ふわふわしていたが、やらなくてはいけないことが
順繰りに浮かんできた。大混乱という感じではなかった。
どうして比較的冷静だったかというと、心のどこかで、
「私の人生なら、そんな不運もあり」と思っていたから。
いい大人が自らを不幸と言うことは、みっともないこと
だとわかっていてあえて書く。
私はあまり恵まれていない。正確に言うのなら、恵まれて
いるところとそうでないところの落差が激しすぎていびつ
なのだ。そのせいか、私は時々ある種の人には「恵まれてるね」
と言われ、もう一方で「かわいそうにねぇ」と言われる。
以前にも書いたけれど、「普通」のことが普通にできない
という意識は、私を人生に対しての被害妄想論者に変えた。
けれども、言わせてもらうなら、私とてやみくもに被害妄想
になっているわけではない。その「証拠」はいくらでも
あるけれど、とりあえず今は書かない。
午後になり、検査結果をもう一度聞きに行くと、癌では
ないことが判明した。結果もわからないのに、
「癌かもしれないから、覚悟して」とけろっという
医者にはむかついたけれど、
とりあえず良かった。
職場に戻り、上司の部屋を片付ける。
雑誌が転がっていた。なんとなくぺらぺらと
めくるとかつて人気を博した女子アナの対談が
載っていた。出産と育児は大変だけれど、
自分(女子アナのこと)を育ててくれる。
かえって能率的に仕事に取り組めると、
「子供を持つことは、仕事にもプラス」と説いていた。
おそらく働く彼女をサポートするシッターや
スタッフはたくさんいるのだろうが、そんなことを
言及しないし、世間も要求しない。
価値観が多様化しているというが、私には
そうは思えない。「負け犬の遠吠え」と
1929年以来といわれる大恐慌の影響で、
人々は強固に保守化しているように思う。
具体的に言うのなら、結婚して出産して、
それでも働き続ける。こうでないと女と
して一人前でないような風潮が、かつて
より色濃くなっていると思う。
「母になること」「30代で産める体をキープする」
というように、最近の女性誌で妊娠や出産を特集
されることが多いのは、それらがブランド物と
一緒で「マストハブ」になっているからだ。
私はどちらも持っていない。仕事も子供も。
同じ出版社から同時期にデビューをし、何冊も
本を出している人もいるのに、私は一冊の本を
出したきり、泣かずとばず。それなら事務員
としてきちんと働こうと思って、先日派遣会社
の登録に行ってきたけれど、なかなか難しい
だろうなというのが正直な感想。ここ何週間か
の私は本も読まず、書店にもいかず、文章を
書くこともなく。こんなの今までの人生で
一度もなかったことだ。
絶望とはあらゆる種類の
経験を拒否することだと、ある作家が言った。
そうか、私は絶望しているんだ。大好きな
作家の言葉ですらも、今の私には響かない。
そろそろ来年のカレンダーや手帳が
欲しい時期となりましたね。
今って本当にいろんなのがあるのね。
菊ちゃんといろいろ見ていたら、有名人の
「今月の名言」がちりばめられたもの、みっけ。
そこに書いてあった「決してブレない」という言葉に、
私は少なからぬ違和感を抱く。
私は雑誌が大好きなので、かなり多くのものを
読んでいるけれど、最近、「ブレない」という
言葉をよく目にする。前後の文脈から見て、
「ブレない」というのは褒め言葉のようなんだけど、
この言葉の正確な意味が私にはわからない。
発言や行動に一貫性があることと勝手に仮定して、
話を続けさせていただきましょう。
おそらくその女性誌のターゲット年齢は、20代から
30代前半だと思うんだけど、環境の変わりやすい
若い人がずっと「ブレない」って、気持ち悪くない?
若いうちから、固まってしまうのってただの頑固ちゃんだよ。
自分のことを振り返ってみるに、20代と30代では
考え方が変わった。20代のころ、私はいつも「誰か」
を意識していたように思う。それは学生時代の友達
だったり、ゼネコちゃん(誰それ?というあなた、
「もさ子の女たるもの」をお読みになると、驚異的に
理解できるようになっております。AmazonへGO!)
だったり、男子だったりしたが、ともかく私は
「誰か」の目に映る自分を気にしていた。
結婚をし30代になって、いつのまにか人の目を
気にしなくなり、興味の対象も他人から
「見えないところ」に移っていった。
洋服に凝っても、家の中が散らかっていたり、
インテリアに統一性がないのはむなしいと
思うようになってきた。今まで健康であることを
特にありがたいと思ったことはなかったけれど、
夫が突然入院したり、親が健康診断にひっかかる
ようになって、感謝するようになった。健康を支える
のは、食生活だ。グルメとか高級志向という意味では
なくて、きちんとしたものが食べたいと思うように
なってきた。
人間関係のスタンスも変わった。言い方が悪いけれど、
「捨てる」とか「あきらめる」ことをするようになった。
20代のころ、私は言葉というのは、すごく便利なツールで、
大抵のことは「話せばわかる」と本気で思っていた。
だけど、話せばわかるのなら離婚もないし、
戦争も起きない。私は自他共に認める変な
人遭遇率の高さだけど、これは半分は運命で
もう半分は私に責任がある。「話せばわかる」
と信じ過ぎているので、周りが距離をおくよう
な人でも関わってしまう。
変わったことと言えば、もう一つ
あって、簡単に「わかる」って言わなくなったこと。
若かった頃、私は相手の気持ちを「わかったつもり」
でいた。想像力があれば、自分の経験したことのない
出来事でも、相手のつらさを理解できると思っていた。
当時の私にとって、それは「誠意」だったんだけど、
今になって思うと、あれは失礼だったと思う。
もちろん今も相手の痛みを理解したいと思っている
けれど、「わかる」とまで言うのは、悩んだり
苦しんだりしている人を軽んじることだと思う。
たとえばモテなかったり、結婚につながる恋愛が
できない人の気持ちなら、私は経験しているから
わかるつもりだけど、モテモテで困る人の気持ち
は想像しようがない。
同様に大事な人との死別や離婚や借金の苦しみも
経験したことがないから、はっきりとその痛みは
わからない。だから、「あなたの気持ちわかるわ」
といってしゃしゃりでるより、静かに見守りたい
と思う。
とまぁ、地味にいきる私ですら日々思うことは
あるんだから、ましてや若い方が思わないわけがなく。
「ブレない」というような言葉は、実は女性誌に出る
人本人のためにあると思う。雑誌に登場する方々は、
その分野で突出していることはもちろん、それ以上に
時流に乗るという特殊な才能を持っている。人気と
いう水ものに自分の人生をまかせるあの方々には、
いい時は甘い汁のおこぼれにあずかろうといろんな
人が寄ってきて、人気がなくなればさっと引いて行く。
「ブレない」状態を保たないと、足元をすくわれて
しまうんだろう。
関係ないけど、私はブスなのでなるべく写真に
写らないようにしているんだけど、そんな
子供じみた言い訳が通るわけもなく、しぶしぶ
写真におさまらざるをえないことがある。私史上、
一番キレいに映っていた奇跡の一枚は、ブレ気味
のもの。三白眼が目立たない仕上がりになっていた。
オチがなくてすみません。
Mixiの中に「女たるもの」コミュニティができました。お時間ある方は是非いらしてください。
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■2008/11/02 (日)
伝えられない女(1) |
最近、ちょくちょく歌舞伎を見に行くのですが
先々週出かけたら、ロビーのところに富司純子
さんがいました。
御贔屓筋へのごあいさつでしょうか。客を立てると
いう意味で、ああいうところの女性は派手な着物は
着ないそうですが、やっぱりすごくキレいでしたね。
そういった光景を見るたびに、私がいつも思ってしまう
のが、ここの家に生まれたら、大変だろうなということ。
いや、生まれないから大丈夫なんだけど。
話が若干それますが、私の友達には、男の子が二人います。
女の子は子供のころからしっかりしてますが、男の子は
どこか抜けてるというか、子供というか。話してると
思わず笑ってしまうのですが、友達が言うには
「男の子二人っていうと、あら可哀そうにって言われるんだよ」
だそうで。女の子は話し相手にもなるし、一緒にお買いもの
にいったり、しまいには老後の面倒を見てもらったりと
期待できるけれど、男の子はそれができない。
結婚したらお嫁さんの言いなりでつまらないわということ
らしい。第三者の私からすると、オンナノコだからって
相性がいいとか、老後の面倒を見てもらえるとは思えない
んですけど、子なしはこういう時には黙るしかありません。
けれど、日本にはやはり依然として男が喜ばれるおうちが
あります。その頂きは言わずとしれた皇室、あとは歌舞伎
をはじめとする伝統のおうち、旧家なんていうのも
そうなんでしょうね。
ド庶民の家庭に育った私には、そんなおうちの内情は
知る由もないのですが、傍から見ていて思うのは、
「伝統の家に、娘の居場所はない」ということ。
たとえば皇室。
すでに降嫁されましたが、紀宮さまは青年皇族として
たくさんの公務をなさっていました。
経験が増えれば、より質の高い「仕事」ができるのは
尊い方も庶民も一緒だと思うのですが、公務をたくさん
積んだ紀宮様は、結婚したら、それらのお仕事はなくなるわけで。
日本のプリンセスとして生まれ育ってきたのに、結婚を機に
それらをすべて捨てて「はい、じゃ、一般人ですよ」
と言われるのって、とても酷なことではないでしょうか。
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■2008/11/02 (日)
伝えられない女(2) |
歌舞伎のおうちもそうでしょうね。どんなに踊りが上手でも、
娘が舞台に立つわけにいきません。寺島しのぶさんは、
第一子にして長女なのですが、男でない自分は何を
やってもダメなんだと思春期に思い悩んだと何かで読みました。
じゃ、伝統の家に完全に女はいらないかというと、
決してそうではなく、「妻」というのは、それだけで
一つの大きな「役」なのです。因習に縛られ、時に
人に言えない苦労をしょい込みながらも、
「家」や「芸」のために、時に自身を犠牲にする。
けれど、ひとたび「家」や「芸」が栄えると、内助の功と
いうやつで、評価はぐーんと上がります。伝統の家では
主や後継者である息子は尊ばれ、妻も重責を担う。
つまり、居場所がないのは、娘だけということになるのです。
最近、泰葉がおかしいけれど、あの人は小朝との離婚で
壊れたんじゃなくて、未だに娘のポジションから脱却できなくて、
さまよっているような気がする。
あの家の人々は、世間が思う以上に父親を偉大だと思っている。
その家に育った娘たちは当然のことながら、お父さんが
大好きだったろう。けれど、女である彼女たちは、落語は
できない。「大きな」お父さんの遺伝子を持つ彼女たちは
何か大きなことをやらなくてはいけないと思うようになる。
長女である海老名美どりで有名なのが、「緊急記者会見事件」
だ。「重要なお知らせがある」と記者を集めたので、これは
離婚かとマスコミが駆け付けたら、
「私は芸能界を引退して、作家になります」と宣言。
売れてない芸能人なだけに、おまえの引退なんてどうでも
いいよとレポーターからブーイングだったらしいが、
「みんながうちに注目している」という自意識のあの家に
育てば、それくらいのことをしてもおかしくはない。
父親のようになれない泰葉が目指したのは、「母親」
だった。自分も名落語家の妻になり、母を超えようと
思ったようだ。離婚の記者会見で、泰葉は
「懐石料理を毎日作っていた」とか
「三つ指ついて夫を迎えていた」と言っていたが、
それを夫が望んでいたかどうかは別問題だ。
夫への献身というより、それは母への対抗意識のように
思える。
子供がいれば、離婚しなかったかもしれないと彼女は
語ったが、理由は何にせよ後継ぎを設けられなければ、
伝統のおうちでは「女失格」だ。
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■2008/11/02 (日)
伝えられない女(3) |
落語家にもなれず、その妻でありながら子供を産むことも
できない彼女には、結婚生活に意味が見いだせない。
そんな彼女がもどる場所は、やはり父の娘に戻るしか
なかった。音楽活動やプロデューサー業をしながら、
弟の襲名披露を成功させようと思っていたのではないか。
けれど、基本的に主婦でいた人が、すぐに活躍できるほど
仕事の世界は甘くない。襲名披露にしても、落語界全体の
イベントなだけに、小朝の意見が通ってしまう。
ここで泰葉がずっと抱えていた疑問が爆発する。
私の存在っていったい何なの?
とまぁ、知ったかぶりをして妄想を炸裂するわけだけど、
一つだけ断言できるのは、いい年して必要以上に親を
好きでいるのは、精神的に不健康な証拠なんだよね。
どうしてそれがわかるかと言うと、今の私がその状態だから。
私の祖父は、私の物心がつく前に他界してしまった。
ミナコ(母)はお父さん子だと聞いていたので、
それは悲しかったろうと思ってミナコ(母)に話をふると、
そうでもなかったと言う。ミナコ(母)いわく、
「もちろん悲しいんだけど、私の家族はもう
ヒデノブ(父)ともさ子だから。ワンクッションある
悲しさなのよね」
結婚することの一つの意味が、ここにあるとその時思った。
けれど、今の私にクッションはない。今は健康な二人だけど、
この先はどうなるかわからない。私はその恐怖に毎日怯えている。
彼らがいなくなったら、私は間違いなく壊れる。そんな状態に
なって、生きていけるかどうか、私には自信がない。
親から受けた愛や恩は、次の世代に伝えるためにある。
けれど、それができずにさまよう女がいる。泰葉や私のように。
Mixiの中に「女たるもの」コミュニティができました。お時間ある方は是非いらしてください。
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■2008/10/25 (土)
OLと源氏物語(1) |
どうして私がこんな目にあうのか、わかりません。
スズキさんがあふれる涙をぬぐいながら言った。
何度か書いているけれど、私は軽口をたたく
ことはあっても、社員さんとは距離をとる
ようにしている。会社というピラミッド型の
組織に属する以上、社員さんは非正社員と
「同等」になることはありえない。
さらにOL時代、自分より権力をもった人に
好かれて、得意ぶってる人を見てみっともない
と思っていたから。だけど、こんな時は思った
ことを率直に言ってもいいんじゃないかと思ってしまう。
ちょっと前から、スズキさんがはぶんちょに
されていることに気付いていた。
大人の世界のいじめというのは、あからさまにする
ことは少ない。あれ?気のせい?と思うくらいの強度で、
ぎりぎりの線をついてくる。当のスズキさんが困惑して
いるのが傍で見ているとよくわかった。
スズキさんをはぶんちょにしているのは、同期で
同じ部のタナカさん。何が原因か知らないけれど、
スズキさんとかかわり合いになりたくないようだ。
スズキさんの結婚式も招待したのにかかわらず、
「用事があるから」と不参加。タナカさんが
マンションを買ったことは内緒にされ、
当然お披露目パーティーにも呼ばれない。
同期の子が赤ちゃんを産んで、その子を見に行く計画も、
バイトより後に聞かされる始末。
私が今まで生きてきて思うに、「結婚式に出てくれない」
というのは、「あなたの幸せにつき合う気はありません」
で、はっきり言うと「あなた仲良くしたくありません」
と言っているのと同じことだ。結婚式のような義理事と
いうのは、声をかけられたら行くのが当然で選択の余地
がないものなんだから。もちろん、人によって事情は
いろいろあると思うけれど、もし「行きたいけど、行けない」
のであれば、お祝いだけ渡すなどフォローの仕方があるはず。
ちなみにやはりタナカさんからスズキさんにお祝いはなかった
という。
そんな感じでよく思われていないところに、
スズキさんが資格試験に受かり、さらにその
ポストにいた人が異動したりなんだりで、
さくっとチーフ的なポジションにおさまって
しまった。スズキさんは同期のタナカさんは
もちろん、年上の女性を束ねる係となる。
先輩女性たちとは大丈夫みたいだけど、
スズキさんとがダメみたい。
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■2008/10/25 (土)
OLと源氏物語(2) |
どうしてタナカさんは、私のことをはぶに
するんですかね。
スズキさんはそう言って原因を探している。
原因を突き止めて対処法を見つけようとしているんだろうね。
女同士のもめ事を、「嫉妬している」と片付ける
のが私は嫌いだけれど、(「私って嫉妬されてるの」
と自分で言う人は、イタい人が多いから)何の利害
関係もない私から見ても、やっぱりタナカさんは
スズキさんに嫉妬しているんだと思うんだ。
「私は別に嫉妬されるようなもの、持っていません。
タナカさんは東京のお金持ちのお嬢さんで、
私みたいな地方出身者とは違います。
旦那も大学の時の同級生で、普通の人です。
タナカさんみたいに親の援助でマンションを
買うなんてできないし、私からすればよっぽど
羨ましいですよ。スズキさんも今後結婚するだろうし、
私を嫉妬する理由なんて、どこにもないじゃないですか」
結婚してるとか、マンションを持っているとか、
そういう所有物競争じゃなくても、
嫉妬って起こるもんなんだよね。
人生の前半、学生時代や就職したての頃というのは、
子供の人生に親が色濃く影響してくる。
親がたくさんのものを持つ人の方が、何かと有利な
人生を送れることは確かだ。
だけど、社会に出た頃から、人生の「本番」が始まる。
職場でどんな位置をしめ、どう生き残っていくかは
本人の才覚とタイミングにかかっている。
スズキさんを貶めるつもりは毛頭ないけれど、
彼女はうちの職場では変わり者にあたる。
電車が一時間に一本しか通らないところで育ち、
高校までは公立、大学生になってから東京に
来た彼女は、自称「イナカモノのもっさり」だ。
職場の人たちはそんな彼女のギャグにウケながら、
心のどこかで彼女をバカにしている。男子より
女子のほうがその傾向は顕著だ。タナカさんも
その一人で、彼女をどこか見下していたのだろう。
前半戦ではタナカさんはスズキさんに「勝った」と
思いこんでいた。
ところがスズキさんが人生の「本番」において昇進をし、
結婚をして家庭を作るというふうな「伸び」を見せた。
タナカさんは、彼女の「人生の伸び率」が気に入らないのだ。
けれど、それをそのままスズキさんに伝えるのも、
問題がある気がして、言葉を探す。
そして言った。
「プライドの高さって、見た目だけじゃわからないもんですよね」
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