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ニフティーのサービス変更をきっかけに、ホームページ「乱雑な部屋」とともにこの「日記」も「楽天」へ引っ越すことにいたしました。
「楽天」では、「能天市場」という名前でページを作っていましたが、引っ越すにあたり、「乱雑な部屋」に看板をかけかえました。
新しい「乱雑な部屋」へお立ち寄り下さい。
どうぞよろしくお願いいたします。
「乱雑な部屋」楽天版
朝早く目覚めた。
家族四人で秩父のお寺に行った。
十数年ぶりで、今はその寺の住職をしている知人に会えた。
奥の院まで、三十分近くかかって登り、大日如来や観音様のお顔を拝見することができた。
大きな岩の上におわす仏様のそばまで行くと、展望が大きく開けた。

遅い昼食はコンビニのパンやおでんだったが、みんな満足した。
帰りにショッピングモールに立ち寄った。
屋上駐車場からは夕暮れの山々の稜線が美しく見えた。
普段、家族がそろって行動することが少なくなっていたので、ただ四人で一日を過ごせたことだけでも、すばらしい一日だった。
険しい坂道を登り、足元に気をつけながら下ったので、足や肩が重いが、それは快い疲労だ。

あけましておめでとうございます。
ひっそり、細々とと続けてきた「日記」に来てくださる方たちに感謝しています。
タイトルの「謹賀新年」を打ち込むときに、指がずれたのか「気長新年」とでできました。(私は、ひらがな入力)
なかなか味のある言葉ではありませんか。
今年は「無理せず、あせらず、ていねいに」をモットーに、大切だと考えたことにエネルギーを集中していきたいと考えています。
この「日記」は、相変わらずポツポツ更新となりそうですが、よろしくお願いいたします。
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私は、出版社のPR誌が好きだ。
書店で無料で入手できることも魅力だが、それにとどまらない。
いろいろな人の文章に触れることができるし、魅力的な連載も少なくない。
かつては岩波書店の『図書』や、草思社の『草思』を定期購読していたが、現在は、講談社の『本』と朝日新聞社の『一冊の本』を定期購読している。
どちらも、表紙がすばらしい。
これほど素敵な表紙は、書店で販売されている雑誌にもそうはないと思う。
『一冊の本』の表紙を担当しているのは、グラフィックデザイナーの原研哉、『本』の表紙を飾っているのは安野光雅。
私が、安野光雅を知ったのは友達が教えてくれた『旅の絵本』でだった。
たくさんの本も出している文章家でもある。
毎月、安野光雅の絵を楽しみにしていた。
でも、それも、今年かぎり、1月号から会田誠に交代となった。
少しさびしい。
でもそれは、慣れ親しんだ教師への思いのようなものなのかもしれない。
後任の教師は大変ですよね。
会田誠さん、ごめんなさい。


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■2005/12/31 (土)
ここまで来ているのか・・大学でのビラまきで逮捕 |
気になりながら、まだ書いていなかった「事件」があります。
早稲田大学でのビラ配布者の逮捕です。
工場の門をくぐると、そこには民主主義はないなどということを聞いたことがありますが、まさか大学で…というのが70年代に大学生であった私の率直な感想です。
いろいろな意味で、あの早稲田で…とため息が出ます。
先日、立教大学を訪れる機会がありました。
田舎の国立大学に通った私は、あまりの美しさにびっくり。
まるでテーマパークみたいな感じを受けました。
「いまどき、汚い学校には学生は集まらないよ」というのは関係者の弁。
うーん。
早大でビラまき逮捕 建造物侵入容疑で 「朝日新聞」
今日の「朝日新聞」のオピニオンのページに「2005年の予感 今年見えた10年後は」という特集が載っていた。
9人の人が書いているのだが、ジャーナリストのカレン・ヴァン・ウォルヘルンさんの文章がとても印象に残った。
タイトルは、「幻想政治」の時代に。
氏は総選挙を【あの日本の「9.11」】とよび、次のように述べている。
メディアと大衆は大した策略にだまされ、真の野党の成長は、おそらく永遠に阻まれることになった。「幻想政治」というものが導入され、国民の関心は、もっともらしい見せかけの課題に向けられる。そして世界にとっても日本にとっても重要な問題はそらされる。
21世紀。日本が後ろ盾としてきた米国はそのせかいにの現実に向き合おうとしなくなっている。それは日本にとって新たな危険をもたらしかねない。日本人はそうした事実に気づくべきだ。
まさに適切な忠告だ。
今、私たちは、あの「小泉劇場」の入場料がどれほど高くつくかを思い知らされつつある。増税や医療費や年金など社会保険料の負担増、教育基本法改悪や改憲の動き、米軍と一体化した海外での自衛隊の活動等々。
「幻想」は「幻滅」へと変転せずにはおかないだろう。その時、もっと強力な政治を求める雰囲気が高まるなら、それは新たなファシズム的強権的な政治へのステップとなる可能性も否定できない。
危機の時代には、「このままではダメだ」と感じ始めた人は、ありきたりで日常的なものを超えた「断固とした行動」を選び取るだろう。問題は、それがどんな展望を持った、どんな立場に立つものかということだ。
私たち自身が、自らの力で「幻想政治」に終止符を打ち、希望を持つことができる展望をきりひらくことこそ必要だ。
姉歯氏の目つきは、青山弁護士に似ている。
ヒューザーの小嶋社長が話しているのを聞いていると、上祐 史浩を思い出す。
魑魅魍魎が跋扈して奇々怪々である。
「藪の中」では困る。
おらぁサンタだ?
昼過ぎに携帯がなった。
会社からの連絡だった。
入居者からマンションに設置されている宅配ボックスをあけられないので、あけてほしいという要請がきたとの事。
入居者に電話して「ずいぶん離れたところにいるので、月曜日にお伺いしたい」と伝えると、「ぜひとも今日来てほしい」と頼まれてしまった。
やむなく、現地に向かった。
マスターキーで宅配ボックスの扉を開けると、中にあったのはクリスマスケーキ。
なるほど、「ぜひとも今日」というのも無理はありません。
本来なら「ナマ物を入れてもらっては困ります」というべきなのだが、何も言わずに引き上げた。
おかげで、駅前の大通りのイルミネーションを見ることができた。
とりがらにもいささか縁のある酉の市。
子どもの頃の思い出話をひとつ。
祭りの午後のことだった。
私は、金魚すくいの水槽の前にいた。
ロケット花火がテントの屋根に落ちた。
布に小さな穴があき、火はじわりと広がろうとした。
テキヤの男は、アルミの椀を手にとり、すばやく屋根に向けて水を放り上げた。
無事に火は消えた。
何匹かの金魚も、水と一緒に宙を舞ったのだろう。
誰かが「三の酉まである年は火事が多い」と言った。
一時は、したたる水を中心に四方へと泳ぎ去った金魚たちは、再び落ちつきを取り戻した。
波打った水面も、静かになった。
遠くから太鼓の音が聞こえた。
●十一月に酉の日が二回ある時は二の酉、三回は三の酉といわれる。「三の酉まである年は火事が多い」というのは、宵に鳴かぬ鶏が鳴くと「火事が出る」といわれたことから出た俗信だそうです。
人並に押されてくるや酉の市 虚子
今日は誕生日。
仕事から帰ると、上の娘がケーキを作ってくれていた。
どこか外で食事をしようかという話もあったが、家でお寿司を食べることになった。
妻からはちょっと上等の日本酒、二人の娘からセーターと焼酎のプレゼントをもらった。娘たちがカードにメッセージを手書きしていてくれたのが、何よりもうれしい。
お酒もいただいた。
今月中は節酒のはずだったが、22日は「いい夫婦の日だから」、今日は「誕生日だから」と呑んでいる。
まぁ、いいではないか。
これでも、以前よりは呑む量は少ない。
ことあらためての決意というほどのものはないが、いやな事件や不穏な動きのある中、許せないことにはきっぱりと意思表示をし続けたいと思った。
55歳。
いけいけゴーゴー!
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