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■2004/12/31 (金)
無免許バシストより「ご挨拶」 |
この広大なスペースとスピード、そしてコミュニケーションの存在する
WWWの世界にちょこっと陣地を確保しました。
関口 卓也(HN:関口@無免許、普通運転免許未所持)と申します。
趣味はコントラバス演奏。
現在アンサンブル・フランという弦楽合奏団を中心に演奏をしております。
ISBJ(インターネットコントラバス奏者協会ML)や野田一郎さんのHP、
みーさんこと三好さんのHPで展開されている演奏論に
私なりの方法でアプローチしていこうと思っています。(仏弓チャレンジ中)
尚、会社ではラグビー部に所属し(近時は飲み会のみ)
幼少時はサッカー小僧でしたのでそうした話題も展開し、
音楽へのフィードバックを図りたいと思います。(スポーツ観戦好きです)
また、プロレスも幼少時より好きで、近時は「いい大人が」と
自粛しておりましたが、ネットにより大人の楽しみ方を啓蒙されましたので、
それも紹介したいと思います。
この日記は雑記ですが随時カテゴリー毎にエッセイ化します。
BARでとなりに座りあわせた人と話すような、
気軽な気持ちでご覧ください。
HPの方へも是非どうぞ。
ご感想、ご意見は掲示板、MAIL等どしどしどうぞ。
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■2002/01/25 (金)
バーバーのアダージョ |
フランの演奏会にいらしてくださった方から図書券を頂き、
神保町にて書店めぐりをした。
ひとしきり書店を巡り、裏通りに入ると牛丼屋さんがあった。
よく聞くチェーン店ではない。牛丼にお味噌汁と御新香がついて
ニ百数十円とある。安い。近時の値引き競争に追随しての価格設定ではあるが、
狂牛病騒動のためか店内にはお客さんはいない。
日本でも狂牛病の騒動が迷走している。
私の考えを述べれば、もともとの感染可能性が低い上に、
擬陽性にも配慮した全頭検査が行われている現在となっては、
牛肉を食べても感染の可能性は限りなくゼロに近い。
おそらく他の病気や事故で死ぬ可能性の方がはるかに高いであろう。
しかし、今回の騒動で教訓としなくてはならないことがある。
「食」と言う行為は元々危険なものなのだということである。
現代人に殆ど自覚はないが、本来捕食するという行為自体が
動物にとって命がけの行為なのである。
人間は、環境によって、ずいぶんとその能力を発揮したり、
しなかったりする。何もなければ、人はそれなりに工夫し、
何とかその環境を自分の都合のいいように克服し変えようとする。
食に苦労した先人がいたから、今に至っている。
しかし、それを知らない私達は、そういう時のことをすぐ忘れてしまう。
忘れてしまうと、その本当の怖さも知らないまま、安易な方法を用い、
強欲になってしまう。これはもっと危険なことだ。
私はふとその牛丼屋に入った。店内に客は居ない。
寂しい店内とは裏腹に室内の照明は眩しいほど明るい。
BGMは何故かクラシック音楽名曲のダイジェスト。
牛丼が供されるや否や、BGMがバーバー作曲の「弦楽のためのアダージョ」に
変わった。映画「プラトーン」で有名になった曲だ。
こちらの心境や食のペースを無視し、曲は転調を繰り返し、クライマックスへと
向かっていく。絶望しそうな強奏のクライマックス、食べ終わった私は
また静まり返っていく曲に背中を押されるように店を後にした。
店を出ると街はやはり明るく、喧騒の中にあった。
福島県・鮫川村で蛍を見物した際に、驚かされ、思い出した
夜の暗さ・静けさはここにはなかった。
家に帰った私は灯りを落とし、TVもつけずに独り静かに過ごした。
静けさの中、自分がなぜ音楽が好きなのかを思い出したような気がした。
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■2002/01/07 (月)
もうひとりの山口先生 |
花園の高校ラグビーは啓光学園の優勝で幕を閉じた。
高校生ばなれした素晴らしいチームであったと思う。
前年優勝校の伏見工は惜しくも予選突破ならず
大会開会式にて小人数での入場行進のみであった。
この伏見工業の総監督である山口良治先生は、私が音楽の心の師と仰ぐ
山口裕之先生と共に、忘れ得ぬ「山口先生」である。
私の会社のラグビー部への入部は、以前の相撲同様、飲み会での
「明日から練習に来い」「解りました」が発端である。
もう8年程前の話である。そしてバブルの残り火のあったその夏の合宿は
北海道のルスツリゾートで行われた。奇しくもラグビー部の顧問が
山口先生と旧知であったことから、結成後間もない私たちの合宿に
指導に来てくださることになった。
夏の北海道の強い日差しの下、基本技術を重視し、練られた練習は
放蕩生活を送り、突然ラグビー部に参加した私にはきつかった。
そして練習の最初と最後は必ずサーキットトレーニング。
学生時代ラグビー部でならした者に対して徐々に遅れてきてしまう。
まさに「スクールウォーズ」の「イソップ」状態である。
すると先生はパッと私に駆け寄り、伴走しながら、
「関口!これが終わったら冷たいビールが待ってるぞ!ビールうまいぞう」
と励ましてくれる。条件反射の様にペースアップする私。
先生と伴走している様子が写真に残っているが、
足を引きずる様に走る私の横で、きっちりと膝の上がった美しいフォームで
走る先生。大病から復帰された直後であったが、流石は元日本代表である。
練習後の宴会ではにこやかに皆に酒を注いで回られ、
私には「お前は遅れとったから、バービージャンプ10回やらんと注がん」
そして、私のサッカー小僧の名残を残す足をさすりながら、
「ええ足しとるんやから鍛えな、大八木になれるで」とのお言葉を頂戴した。
宴席のあと、皆でお話を伺った。イングランドと引き分けた伝説の代表戦、
大西鉄之祐監督の思い出、そして有名な伏見工の苦闘、
時に涙を浮かべ、胸に手をあて、気持ちの昂ぶりを感じさせながら、
熱く「信は力なり」を語られていた姿は今も心に残っている。
そして7年後、夏のトマムリゾートで私はまた貴重な体験をしたのであった・・
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■2002/01/03 (木)
カブはカブだった。 |
「お正月はお節を食べて何もしないのが本筋」と開き直り、
今年のお正月はだらだらTVを見て過ごしている。
本日のゴールデンタイムは某TV局同士が「真似した、しない」で
揉めたという大食い番組が、似たような面子で対決している。
まあ散々番宣CMでも見たし、あえて別のバラエティーを見ていたのだが、
こちらでも同じような大食いタレントが街の商店街を食べ尽くす企画を始めた。
お正月三が日のゴールデンタイムに3局が大食い番組を
やっているのは奇異としかいいようがない。
そんな食傷気分の中、そのバラエティーの次の企画に惹きつけられた。
蕎麦屋の出前用のスーパーカブで、ロシアまで蕎麦を出前する
という企画である。真冬にロシアまで1200kmである。
私も始めて知ったのだが、カブは燃費リッター略100km。
4リットル入りのタンクで3回の給油で到着してしまった。
ラリーライダーの腕もあるのだが、雪道を特別な装備もなく
踏破し、極寒のロシアで一晩を過ごしてもお湯をかければ
エンジンが回り出す。
凄い!世界中で愛される日本の工業製品の鑑!
バイクの免許も当然持っていない私もカブが欲しくなった。
カブの歴史は日本の戦後史とともにある。
日本の高度経済成長の果てがこの飽食なのだ・・と考えそうになり
待てよと思った。大食いとは何が違うのか?
私の違和感は、物の価値の捉え方なのではないかと考えた。
カブも極言してしまえば、凄い燃費と耐久性に至るのだが、
最終的にカブには「いろいろなことが出来る」「どんなところも走る」
「どこまでも走れる」というポテンシャル・可能性を感じさせられた。
大食いも人間の詰め込む力のチャレンジではあるのだが、
最後に残るは「ペットボトル何秒」「カレー何Kg」「ラーメン何杯」であった。
価値のないものを煽って、数を上げていくということは
バブルの株・不動産と一緒である。本当に価値のあることが分かっているものに
そんなことする必要はない。お金も数字ではなくポテンシャル・可能性なのだ。
石の通貨を使う南の島では大きい石がお金持ちの証なのだが、
島一番の大金持ちは隣の島からもっと大きい石を運ぼうとして、
船が沈んだ人の子孫なのだそうである。
ちょっとそんなことを意識して世の中を見てみたい。
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■2001/12/25 (火)
サンタは街にやって来ます! |
クリスマスである。
私は幼い頃、サンタクロースを信じていた。
両親は細心の注意を払い、ささやかながら
「これは父から」「これは母から」と別々にプレゼントを用意し、
夜、寝静まるとサンタクロースからの贈り物が置かれるという
方法を採っていた。サンタクロース宛の手紙を書く際は、
母親が厳しく指導し、幼稚園児の私は半べそをかきながら、
「サンタさま、いつもプレゼントをありがとうございます・・」
と言った手紙をキチンと書けるまで何度も清書させられた。
近所の子供に「サンタなんていないよ」といわれても、
親に上記の周到な仕掛けを諭されると「ああそうか」と
納得していた。幼稚園はキリスト教系でクリスマスになると、
「キリストの誕生」を劇でやったり、荘厳な雰囲気であったので、
先生がばればれのサンタの恰好をして現れるといったこともなかった。
私は何か一般的なサンタ像と違うイメージをサンタに抱いていた。
小学校2年生の道徳の時間。教科書に姉が妹の為に徹夜をして、
プレゼントを作るという話があった。すると先生が、
「サンタクロースを信じている人?」と皆に聞いた。
手を挙げたのは私を含め4人だった。
(恥ずかしくて挙げられない人もいたかもしれないが)
そして先生は、サンタは家の人で感謝の気持ちを忘れるなといった
内容の話をして授業が終わった。クリスマスの遥か前の事であった。
その年のクリスマスがどんな気持ちだったかとかは忘れた。
今でこそ「教師も守秘義務が・・」なんて笑って話しているのだが・・
教師の気持ちも解らなくはない。何となく馬鹿騒ぎに堕している感もある。
しかし、「飽食の時代だ」とか「贅沢だ」とか「世界では」とは
別にサンタを心の中に抱くことは大切だと思う。(風呂敷は広げられないが)
「東京には星がない」というフレーズを聴くが、東京でも星は見える。
(少ないが・・)見ないと見えないは違うのだ。
もし自分に子供が出来たら、自らの腕を精一杯伸ばして、
サンタを心に抱かせつづけたい。
もし娘ならば、娘の結婚相手とおでん屋かなんかで飲みながら、
「○○君、これからは君が××のサンタだ」とか言って
がっちり握手したいなあ・・(安っぽいドラマの見過ぎか?)
湯島のちゃんこ鍋屋で酒を飲んだ。相撲部の忘年会である。
私が会社でラグビー部に所属しているのは上記の通りだが、
学生時代に相撲をやっていた人が、ラグビー部に所属しつつ、
相撲部を作り、メンバーを集めた(無理矢理引き込んだ?)のである。
試合に行ったら、初戦がいきなり160kgのアマチュア横綱だったとか、
60kgそこそこしかない人が無理矢理駆り出され、
1戦して肩を脱臼して大変だった等々エピソードには事欠かない。
私は、長らくカヤの外であったのだが、
数年前、ラグビー部のある飲み会で、突然その人から
「補欠が足りんのや、明日来てくれ。お前結構体格いいし」
と言われた。「見るだけですよ」と念押しして行った。
大会会場は靖国神社の一角にある相撲場。
国体予選も兼ねているのだが、その異様な雰囲気に圧倒された。
すり鉢状になっている会場にはマワシをつけた、異常にガタイのいい男達。
女性の姿は殆どなく、うちの会社のチームのみ奥様連が来ている。
着くや否や「よかった一人来ないんだ。お前出ろ」
寝耳に水である。有無を言わさず、相撲場の隅にある防空壕のような
更衣室でマワシに着替えさせられる。「お前色白いな」ほっといてくれ。
「私、まったくの始めてで駄目ですよ」
「解ってる。どうせ勝てないだろうから大将にしといた」
「・・・・」
とりあえず、挨拶の仕方、立会いを教わり試合開始。
私までで2勝2敗、勝敗は大将戦に持ち越された。
どんな相手なのだろうとドキドキしていたら、
相手の大将は午前の負傷で欠場。不戦勝である。沸き立つ自陣。
そして2試合目。今度は相手がいる。
「○○チーム、関口君」「△△チーム、××2段」
その時、産まれて始めて相撲にも段があると知った。
相手は満員電車で隣り合わせたくないような体躯。
あっという間に押し出され敗退。皆に「女の子みたいな負け方」と言われる。
3戦目は事前にあたり方を教わるが、当たってからどうしていいかわからず敗退。
今となってはいい思い出である。
そしてそんな苦い(?)思い出を持った人々が集い、楽しく飲んでいる。
うーんこれも主将の人徳か?
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■2001/12/07 (金)
実録風・免許がない! |
会社を早退し、演奏会の会場に向かう。しかし大きな問題がある。
「家人に送ってもらえない」という事だ。
会社から一人家に帰り、荷物を最小限にすべく
白の立ち襟シャツ、黒服に着替える。
昔はいつものように楽器を運んでいたのに・・・憂鬱だ。
エッセイに「山口先生とフランがある限り」と書いたじゃないか!
がんばれ!と自分を励まし、家を出る。
地下鉄の入り口前の横断歩道。もう少しで渡りきらんという時に
タクシーが止まり、お客を下ろす。「コラ!横断歩道で停車するな」
と心でつぶやく。
地下鉄大江戸線のホームは地下6階。階段を降りていると
おばさんがすれ違いざまに手提げを楽器にぶつけてくる。
「コラ!こっちは思い切りよけているじゃないか」
と心でつぶやく。いかん気が立っている。
改札で楽器を肩にかけ切符を買っていると、おじさんに道を聞かれる。
教えたのと違う方向に歩いていったので、走って追いかける。
ようやく乗れるが、自動改札超えは面倒くさい。
電車に乗りこむと、OLが怪訝そうな顔をしている。
真っ昼間にベース担いだ黒服の男は変だろうか?
別に結婚式場から逃げてきた訳ではない。
ダスティンホフマンも花嫁を連れて逃げた時(映画「卒業」)
こういう目で見られたのか?いや彼らはオープンカーで逃げたのだ。
てことは、私が花嫁を連れて逃げる時は電車なのか、カッコ悪い。
改札口で切符買っているときに捕まったりして・・・
などと考えていたら乗換駅に着く。よしと降り口で構えていると、
ドアが開くや否や、学生が乗りこんでくる。
「コラ!降りる人が先だろ」と心でつぶやく。
エスカレーターは混雑しているので階段で上がる。
道に迷う。ようやくホームに辿り着くが電車が行ってしまう。
残念。昼のダイヤだ7分待ちだ。
電車に乗りこむ。忘れ物が気になる。
「エーっと、蝶タイに譜面に・・ガサガサ」
あっしまった、住吉駅だ。乗り過ごした。
いや次の西大島から歩いても同じ距離のはずだ。
降りて地上へ、しまった反対側の出口から出た。
無事に辿り着けるのか?帰りも同じなのか?
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■2001/12/03 (月)
半分になったFAB4 |
週末は土曜日:練習→カムジャタン鍋で痛飲。
日曜日:練習→イタリアンで痛飲であったので、
昼はお刺身のおいしい定食屋さんへ行った。
「今日は鰯にブリに・・」とおじさん。鰯を中心に盛ってもらった。
うまい。ご飯をお代わりしなかったせいか、帰り際おじさんに
「うまかった?」と聞かれたのでOKサインを出す。
職場への帰り道、銀杏の並木の下を歩いていたら、
「ヒア・カムズ・ザ・サン」のイントロが頭に浮かんだ。
ジョージ・ハリスンが死んだ。
ジョージというと「サムシング」という人が多いが、
昔、私はあまり好きではなかった。
間延びしたようなイントロと加山雄三がNHKの歌謡ショーで
歌っていたり、フランクシナトラが絶賛したりという雰囲気が
嫌だったようで、ジョンレノン派の私は「カム・トゥゲザー」が
断然イイなんて思っていた。「サージェント〜」のB面2曲目も印象悪かった。
でも「ホワイル・マイギター・ジェントリー・ウィープス」は
好きであった。(しまった英語表記にすれば良かった。メンドイ)
ソロでも何曲か好きな曲が在る。
80年にジョンが死んだ時、私は10才であった。
親に「ジョン・レノンって誰」と聞いたら、
「お前、軽井沢ですれ違ったの覚えてないの?」と言われた。
確かに親はキャッキャしていたかもしれないが、ビートルズを
知らない私が覚えているわけもなく、そこからビートルズを聞き出した。
スタート時には既にFAB3だった訳である。
20台後半になってようやく「サムシングって中々イイ曲じゃん」
などと思い出した。
ジョンが死んで20年余り、今またジョージの死を前に
この20年を振り返ってしまった。
帰りの電車で窓の外を見ていたら、
ソロ曲「Faster」が聞こえてきた。
北京に行ってきた。帰ってきて最初のお昼ご飯は決めていた。
お刺身のおいしい定食屋さんである。
職場を少し早めに抜けて、いつものように一番乗り。
カウンターの一番端に腰掛ける。
おじさんが「毎度、今日はヒラマサ、ブリに中落ち・・」と
お勧めのお魚を話し出す。「今日のヒラマサは凄いよ」とおじさん。
私「じゃヒラマサとあと適当に」。そして食べる「うまい!」
つい先日まではカツオをよく勧められて食べていた。
そういえば夏には、いいお寿司屋さんを教えてもらって
そこでシンコやシンイカを食べまくった。
季節の過ぎるのは早い。
私はお店の人と仲良くなり「おまかせ」で食べたりするのは好きだが、
「いつもの」と言うのは好きではない。
天の邪鬼なのだが、なんか「おまかせ」というだけでもいいから
自分の気分を反映させたいし、「いつもの」はちょっと偉そうだ。
まあ喫茶店で無口なマスターが席につくとサッと「いつもの」
コーヒーを無言で置く。なんていうのもハードボイルドでよいとは
思うのだが、じゃあ「今日はアイスコーヒー」なんて時はどうする?
私は新規に開拓すべく入ったBARではあまり好きでないバーボンを
頼む。店が今一つでもまあ3杯位で切り上げられるからである。
以前あるJAZZbarに入ってそれをやったら、そのバーボンがお気に入りと
思われ、黙っていても出てくるようになってしまった。
しかし、あえて言うのもちょっと気まずい。
とてもjazzのレコードの充実した店であったが、程なく足が遠のいた。
(雰囲気もちょっと音楽をジックリ聞けない感じに変わり出したし)
まあなかなか難しいところである。
そして今日も私は行き付けのBARに行き、ゆっくりと
「今日は何から始めるか」と考えるのである。
今、猛烈に讃岐うどんにはまっている。
これは「讃岐うどん」というジャンルにはまっているのではなく、
ある店が何故か気に入って通いつめているのである。
私は長らく「そば」が嫌いで(今は大好き)、うどんには思い入れが強い。
実際一時住んでいた埼玉にはおいしいお店が沢山あった。
社会人になって始めて四国に上陸し、本場の讃岐うどんに感激した。
何気ない民家の軒先のようなところで供される素朴なうどんのうまいこと。
お遍路の八十八番目の寺の前にある八十八庵なんてとこまで、
打ち込みうどんを食べに行ったりした。(ドライバーの友人に感謝)
しかし、東京の立ち食いそば屋に椅子がついたようなお店に今ははまっている。
私は一度はまると生活にすり込まんとして通い積めてしまう。
会社から数駅離れたところにあるのだが、
昼にはわざわざ電車に乗って食べに行くし、飲みに行く前に一杯とか、
家で夕食を食べるのにふらっと寄ったりもする。(家人よ許したまえ)
なんか麻薬でも入っているんじゃなんていう冗談は置いておいて、
「お年寄りには辛かろう」てな感じのコシはたまらない。
いつも、私は冷たいぶっかけうどんに天ぷらを乗せてもらうのだが、
その立ち食いそば屋然とした店に、立派な生ビールのサーバーがある。
そのお店は「優しそうだがこだわってそう」なおじさんと若いお兄さんの2人で
(息子なのか修行中なのか、それを推理するのも楽しい)
やっているのだが、生ビールを注文すると、おじさんが麺から離れ、
注文を取っているお兄さんを押しのけ注いでくれる。
(夜行くときしか頼んでない、為念)
このビールが絶妙な注ぎ具合でおいしい。(きっと管理も良い筈)
しかしうどんを茹でているおじさんが注ぐのだから、タイムラグは否めない。
最近、おじさんもお兄さんに注ぎ方をマスターさせようと思うのか、
生ビールを任せ出した。しかしお兄さんの上達が遅い。
「そんなんじゃだめだろ、貸せ」とかやっている。うーんがんばれ!お兄さん。
そして今日も私はうどんと生ビールを頼み、
お兄さんにプレッシャーをかけないよう、そ知らぬ顔をしながら待ち、
ちょっと泡が少なかったり多かったりするビールを飲みながら
うどんを食べるのである。
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